僕にとっての希望であり幸せなのが

死ぬ事なのです。

本当にそうなの。

病んでるとか病んでないとか関係なしに。

死に取り憑かれてしまったの。
死に魅了されてしまったの。


楽しい時、嬉しい時、幸せだと思う時、
本当に心の底から死にたくなる。

もう死にたいって思わないように。
楽しい時に死ねたら幸せ、
嬉しい時に死ねたら幸せ、
この幸せなままで死にたい、って
本気でいつもどんな場面であっても、
そう思ってしまうのです。
(思ってしまうって言い方も何だか違う気もする)

その楽しさや嬉しさや幸せが、
大きければ大きいほどに、
比例して死にたい気持ちも大きくなる。


悲しい時、辛い時、死にたいと思う。
これもその通りで、そう思うよ。

ただ厄介なのがね、
楽しい時も嬉しい時も幸せを感じてる時も、
死にたい気持ちが強くなるんだよ。

やっぱり俺は死で救われる人間なんだと思う。

だって、
救われてるじゃんって状況にいても、
死にたくなるんだもん。

自分ではどうしようもできないよ。


俺はこの命の使い方は決めてる。
最終的な使い方を。


命を犠牲にして自分を救うの。


それはもう決めてる事。

この世界でももう決まってる事。


どんな死でも受け入れるよ
なんて事は言わない。
死ぬのは怖い。

死ぬのが怖いというのは、
この世にまだ期待してるだとか、
未練があるだとかじゃない。
ただ、本能的に死ぬのは怖い。それだけ。

未練なんて沢山ありすぎて数え切れないよ。

ただ、それが自分の事じゃないってだけ。


もしかしたら、死ななくても
自分を救ってくれる何かがあるかもしれない。

なんて期待はとうの昔に捨てたよ。

だって幸せな時も死にたくなるんだもん。

幸せな時に死にたい。

けど、1番俺が望んでるのは、
死にたいに染まった時に死ぬ事だよ。

死にたいとひとつになって、死ぬの。

初めて自殺失敗したあの日の僕とひとつになるの。

やっと死んでくれるんだねって言ってくれるはず。

俺の最終的な望みは死だから。

俺はあの日々を過ごしていた頃の自分の願いを、
ひとつずつ叶えて生きてきたよ。

でも、ダメだね。

それを叶えた今でさえ、もう遅かった。

叶えたって死にたいのは変わらなかった。

なんなら叶えたその時こそ、
もう悔いは無いって思って死にたくなる。

何しても死にたくなる。

取り憑かれて呪われて、
怖いと思いながらも魅了されて、
今となっては相思相愛な僕と死。



死に何を期待してるのか、

無を期待してる。

世界も自分も意識さえもない無を。

死んだらそこで終わり。
何も無い。意識も無い。記憶も、思い出もない。
それを望んでる。

それが俺の望む幸せ。

悲しいかい?寂しいかい?空しいかい?

それでも、それを望んでるの。

俺って幸せ者だよ。本当に。

必ず来る、死が、一番の望みだなんてさ。

死ぬ前だって幸せなくせして、
死んだ後だって幸せだ。

死を拒絶する意味が俺にはよく分からない。
必ずみんな死ぬのに。
肯定せずとも、受け入れさえもしないじゃん。

死をネガティブに捉えすぎだとも思うし、
変にタブーな話っぽくなるのも違うと思う。

でも、そんな価値観を持ってる人の気持ちも分かるよ。悲しいし寂しいもん。
そんな一言では終わらない感情だよね。
でもそれって、その相手との思い出や、
その相手と過ごしたかった未来への期待や、
一緒に過ごした時間の感情達の裏返しだから、
その分、その相手と幸せな時間を過ごせた証拠。
目を逸らさずに、
ちゃんと悲しんで、寂しがるべきだと思う。


俺も君も、何ら変わりはないよ。

ただ自分の思う幸せ、
そうなりたいっていう気持ちは同じでしょ?

その幸せが君と僕とでは違うってだけでさ。

生きてるうちに、
生きてるからこその幸せを、感じまくるよ。


今日も読んでくれてありがとう。

このnoteで書いたことは、
僕がもう5年前からずっと思ってた事。
やっと少しずつ言葉にできてきたよ。

死に対しては、もっと色んな感情があるよ。

でも今日は、僕だけの死の話ね。

読んでくれてありがとう。

またね

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