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もしおばあちゃんが生きてたら


こんにちは。すずです。

自分と向き合う時間が増えた今、一日の中でいろんなことを考えます。自分は何がしたいんだろう。今何をするべきなんだろう。答えが見つからない。誰かに相談したい。

そう思ったときに、おばあちゃんに会いたくなりました。


大好きな人がこの世からいなくなる


大好きなおばあちゃんが昨年亡くなりました。

めったに体調を崩さず、本当にいつも元気だったので、100歳は超えると周りのみんなが思ってました。


それなのに。


私のおばあちゃんは、94歳でこの世を去りました。


私のおばあちゃん


おばあちゃんの旦那さん、つまり私のおじいちゃんは私が生まれる前に亡くなっていて、おばあちゃんは長い間一人で暮らしていました。

病気も大きな怪我もしない、一人で生きる強いおばあちゃんでした。

お正月、夏休み、おばあちゃんの誕生日など毎年恒例のイベントがある度におばあちゃんに会いに行きました。運動会や学芸会などの学校行事には、いつも会いにきてくれてました。

小さい頃は、「肘をついて食べたらいけません」と注意されたり、小さなことで泣いていると「すぐに泣くんじゃない」と怒られたり、とにかく厳しい印象を持ってました。

でも、大きくなるにつれて怒られることはほとんどなくなり、「勉強や部活を頑張っていてえらいね」と褒めてくれたり、「身体に気をつけて頑張ってね」など応援してくれることの方が多くなりました。いつの間にか、おばあちゃんは「厳しい」と言う印象から「私の味方」という印象に変わっていきました。


おばあちゃんには私を含めて7人の孫がいます。

私以外の孫が結婚していく一方で、全然結婚する雰囲気のない私に対して、「独身貴族もいいもんだよね」「こればっかりは運命だから急ぐことじゃないよ」と結婚を急かすこともなく見守ってくれていました。

7人の孫のうち4人が結婚していましたが、様々な理由でおばあちゃんは一度も結婚式に出たことがありませんでした。

そのせいか、「すずの結婚式には出たいな〜」と言うことも多々ありました。「すずの結婚式までは生きるからね」と笑いながら言ってました。

それは私に対して結婚を急かしているのではなく、単純に孫の結婚式に出てみたいという気持ちが感じられました。


おばあちゃんの夢を叶えたいと、素直に思いました。


入院と認知症


歳を重ねるにつれて、おばあちゃんは同じことを繰り返し話したり、物忘れをよくするようになりました。いわゆる認知症を発症しつつありました。

それでも、一人で普通に暮らしてました。

たまに電話をしておばあちゃんの家に会いに行ったり、外で待ち合わせをしてご飯を食べに行ったりしました。

おばあちゃんに会いに行くときは大体家族が一緒だったので、実際おばあちゃんと二人きりになると最初は何を話せばいいのかわかりませんでした。でも、おばあちゃんはとにかく社交的で、一緒にいるだけで元気になりました。


2019年3月、おばあちゃんが入院するという連絡がありました。

内臓に水が溜まっているらしく、お腹が痛むとのことでした。しばらく入院することになり、休日にお見舞いに行きました。

おばあちゃんは思っていたよりも元気でした。

でも、以前会ったときよりも明らかに認知症の症状が進行していました。


おばあちゃん「いま彼氏はいるの?」

「いるよ」

おばあちゃん「今度おばあちゃんにも会わせてね。彼はいくつなの?」

「私の3つ年上だよ」


1分後、、、

おばあちゃん「いま彼氏はいるの?」

「いるよ(あれ、たった今答えたばっかり、、)」

おばあちゃん「今度おばあちゃんにも合わせてね。彼はいくつなの?」


、、、彼氏がいるか確認の質問がエンドレス。

会話が終わったと思って、一呼吸おくとまた同じ質問。


あんまり長居するのも良くないとのことだったので、30分くらいお話をして帰りました。


それから入院している病院に何度か会いに行きました。

病室で食事をしても良いとのことだったので、ある時ナボナを手土産に買っていきました。おばあちゃんが一緒に食べようと言ってくれたので、2人で一緒に食べることにしました。

おばあちゃん「お金あげるから、自動販売機で何か飲み物を買っておいで」

と言ってお財布を取り出そうとしましたがお財布が見当たりませんでした。

認知症がかなり進んでいたのでお金を渡しておくのは危ないという理由から、病室にお金は置いておかないことにしていたからです。

私はペットボトルの飲み物を持ってきていたので「飲み物持ってきたから大丈夫だよ」と言ったのですが、おばあちゃんは孫に飲み物を買ってあげることができないことを残念がっている様子でした。

会いに行く度に認知症が進み、身体は細くなり、元気だったおばあちゃんがだんだん弱くなっていることを感じました。


自分の家で暮らしたい


おばあちゃんの病気は、「手術することもできるけど、おばあちゃんの体力を考えたら絶対した方が良いとは言えない」という状況でした。

つまり、「手術したら一時的に良くなるかもしれないけど、また再発する可能性もある。手術が長引いた時に、耐えられる体力があるかわからない」とのことでした。


おばあちゃんは痛いのが大嫌いで、入院することもすごく嫌だったそうです。お見舞いに行く度に「早く家に帰りたい」と言ってました。

専門家ではないから確かではないですが、認知症が進んだのは入院が原因の一つだったのではないかと個人的には思ってます。

何十年住んだ家を離れて、狭い空間で、知らない環境で過ごす日々は、一人で自由に生きてきたおばあちゃんにとって、苦痛だったんじゃないかなと思います。


家族とおばあちゃんは、手術をしない選択をしました。


その後おばあちゃんは退院をしましたが、入院する前と比較できないほど認知症が進み、一人で暮らすことが難しい状況になってました。

家族は老人ホームに入ってもらうことを検討しましたが、おばあちゃんはどうしても自宅で暮らしたいと主張しました。

なるべく自宅で暮らせるように、デイケアサービスや訪問介護をお願いしました。

しかし、デイケアサービスに行かない、夜になると私の母に何回も電話がかかってくるなど、様々な問題が起こりました。

最終的には老人ホームに入ってもらうことになりましたが、「やっぱり自宅がいい」というおばあちゃんの意志から、老人ホームでの生活を基本として一時的に自宅に帰る日も作ることにしました。

自宅に帰ったときは母が泊まり込みで面倒を見ることになりました。おばあちゃんのケアをしている母もまた心身ともに疲れてきているようでした。

おばあちゃんは次第に私の母に向かって暴言を吐くようになりました。自分の思い通りに行動することができない、昨日のことも覚えていない、本人も気付いてないイライラや不安が溜まっていたのではないかと思います。

このような状況でも、私が会いに行った時はいつもおばあちゃんは優しく「忙しいのに会いに来てくれてありがとう」と言ってくれました。


おばあちゃんとの文通


一人部屋の老人ホームで、おばあちゃんはいつも何をしているんだろう。

会話をしたり、頭を使わないと認知症がさらに進んでしまうのではないかと思い、ある時「おばあちゃん、文通しない?」と提案しました。

便箋を買って、封筒には自分の住所を記入して、切手を貼りました。文を書いて、封をしてすぐに出すことができるように。

おばあちゃんは「そこの机の上に置いといてくれる?後で書くね。」と言ってくれました。

その翌日、母の元に「すずからもらった便箋がない」とおばあちゃんから連絡があったようです。結局は部屋の中にあったようですが、ちょっとした騒ぎになりました。

周りに迷惑をかけてしまい申し訳なさを感じた一方で、おばあちゃんが文通を覚えていてくれて書こうとしてくれたことに嬉しさを感じました。


でも、

その後おばあちゃんから手紙が届くことはありませんでした。


おばあちゃんに会える残された時間


老人ホームに会いに行くと、おばあちゃんはベッドで眠っていることが多くなっていました。

ヘルパーさんや母に相談したところ、「声をかけて起こしてあげて」とのことだったので、耳が遠くなったおばあちゃんに向かって大きめの声で呼びかけました。

何度も読んでもなかなか起きず、そうしているうちに「おばあちゃんと一緒にいられる時間はあとどれくらいなのだろう」という疑問が頭に浮かび、涙が出てきました。

少し体を揺すると起きてくれて、話すことができました。


おばあちゃんが病院に入院したり、老人ホームに入ってから定期的に会いに行くようになり、その中でいろんな話をしました。


テレビで相撲を見て、一緒に笑ったね。

元気の秘訣はお肉を食べることって教えてくれたね。

朝は決まってりんごを半分食べるんだって。

若い時はたくさん旅行に行ったんだって。

何事も努力だよ。

好きなことをしなさい。

元気だったら何でもできるよ。

すずの手は冷たいね。温めてあげる。


私はいつの日から、会う度に、話す度に、ポロポロ涙を流していました。

あんなに元気だったおばあちゃんが、寝たきりになりつつある。

か細い声で私の名前を呼んで、頑張って話しかけてくれる。


この時間は、永遠じゃない。


孫の結婚式


先ほども書きましたが、おばあちゃんには7人の孫がいて、そのうち4人が結婚していました。でも、おばあちゃんは一度も孫の結婚式に出席したことがなく、「すずの結婚式には出たいな〜」といつも言ってました。

当時、私はお付き合いしている方がいて同棲を始めた頃でしたが、結婚の約束をしていた訳ではなく、ましてやいつ結婚するのか具体的に話したこともありませんでした。


ある時、こんな会話をしました。

「付き合っている方はいるけど、結婚の話はしてないよ」

おばあちゃん「何でかしらね〜。今度連れてきなさい。」


結婚の約束もしてない彼女のおばあちゃんに会うのは気が重いのではないかと思い、「そうだね。今度彼に聞いてみるね。」と話を流しました。

その代わりに、彼が写っている画像を見せたら「男前だね〜」と言ってくれました。


いよいよ、おばあちゃんの余命があと少しかもしれないという知らせが入ってきました。

その知らせを聞いた時の私はずいぶん落ち込んでいましたが、彼は静かに側にいてくれました。


「孫の結婚式に出てみたい」

おばあちゃんの夢を叶えたい。でも、時間が足りない。


せめて会ってもらうことはできないかなと、彼に相談してみることにしました。

「おばあちゃんはあと少しかもしれない。おばあちゃんに会って、嘘でもいいから結婚するって言ってほしい。」

「もちろん」

彼は快くそう返事してくれました。

すぐに日にちを決めて、2人でおばあちゃんに会いに行きました。


当日、2人で老人ホームに行くと、おばあちゃんは眠っていました。何度か呼びかけると、目を開けてくれました。


おばあちゃん「あらあら、どうしたの。来てくれたの?おばあちゃん眠ってたね。」

「起こしちゃってごめんね。今日は、お付き合いしている方を連れて来たんだよ。」

おばあちゃん「あらー、素敵な方ね。いつ結婚するの?」

「まだ決まってないよ」

おばあちゃん「そうなの?なんで?」

「、、、また決まったらおばあちゃんに報告するね」


おばあちゃんと別れるときはいつも握手をします。

この日も横になっているおばあちゃんの手を握ってから部屋を出ようとしました。

「ひゃー、冷たい手だね。ほら、旦那さんが温めてあげて。」

なぜかおばあちゃんの頭の中では、私の隣にいる彼が旦那さんになっていました。おばあちゃんは彼の手を取り、3人の手が重なっている状態になりました。

「こうやって、2人で手を取り合ってこれからも仲良くね。大丈夫だから。」

私は涙が止まらなくなり、うん、と返事をすることしかできませんでした。彼の顔を見ることができませんでしたが、彼もまた涙を浮かべているような雰囲気を感じました。

その後、「また来るね」と言って部屋を出ました。


その頃になると、おばあちゃんは起き上がることもできず、眠っていることも多くなっていました。しかし、この日のおばあちゃんは比較的意識がしっかりしていて、短い時間でしたが3人で話すことができました。これは奇跡に近いものでした。

その証拠に、次に会いに行ったときは認知症が進行し、夢か現実かわからないような話をしたり、自分がどこにいるのかもわからず、会話もまともにできるような状態ではなくなっていました。


その後、彼と私は結婚しました。

コロナ禍ということもあり、現在も結婚式を挙げていません。結婚式におばあちゃんを招待できないことが本当に心残りです。ごめんね。

でも、彼をおばあちゃんに紹介できて良かったです。

おばあちゃんに会ってくれた彼には感謝しかありません。


冷たい手を握って


かかりつけのお医者さんから、もう長くないかもしれないとの言葉をもらっていました。

ある日、母と叔母と一緒におばあちゃんに会いに行くと、起き上がって話したい、立ち上がりたいと言いました。

この時のおばあちゃんは筋肉も脂肪もほとんどなくなって痩せ細り、自力で立ち上がるのは困難な状態だったので、母と叔母は「横になったままで大丈夫だよ」とおばあちゃんを説得しました。

自分では立ち上がることができると思っているおばあちゃんは、私に向かって「すず、起き上がるの手伝ってくれる?」と手を伸ばしました。

私は伸ばしてくれた手を握って、無理矢理作った笑顔で「このままお話しよう」と言うことしかできませんでした。

おばあちゃんの思い通りに手伝うことすらできない自分がやるせなくて、涙が出てきました。


次に会いに行ったとき、おばあちゃんはベッドではなく、床に敷かれた布団に横になっていました。

細くて小さな身体が布団にくるまり、おばあちゃんは見るからに衰弱していました。

このときに私の目を見て言ってくれた

「すず、来てくれたの?ありがとう」

というおばあちゃんの小さくてかすれた声は一生忘れないと思います。

このときの会話がおばあちゃんと交わした最後の言葉になりました。


それから1週間後、

会社で仕事をしていると母から電話がかかってきました。

普段は仕事中に電話をしてこない母からの電話に、私の心は不安感でいっぱいになりました。

すぐに折り返すと、

「おばあちゃんの意識がない」

「すぐ行く」

二つ返事でそう答え、上司に状況を説明してすぐに老人ホームに向かいました。


老人ホームに到着すると、おばあちゃんは目を閉じ、鼻に酸素吸入の管を鼻に入れた状態で横になってました。

「おばあちゃん」と声をかけても、返事が返ってくることはなく、手を握っても握り返してくれることはありませんでした。

でも、おばあちゃんは生きてました。
自分の力で口を開けて、鼻から吸入した酸素を吐き出してました。

親戚が集まり、みんなで「おばあちゃん」と声をかけ続けました。

その間、私はおばあちゃんの手を握り続けました。冷たくなった手が、わずかな力でも握り返してくれることを信じて。


その夜、おばあちゃんはこの世から去りました。


もしおばあちゃんが生きてたら


もしおばあちゃんが生きてたら、今の私になんて言うだろう。

「いいじゃない。人間少しは休むときがあったって」

きっとこんな感じで励ましてくれるような気がします。

いや、もしかしたら逆に「すぐに泣くんじゃない」と幼い頃のように怒ってくれるかもしれません。

どちらにしても、最後は私の手を握りながら、

「たまにはおばあちゃんのところにいらっしゃい」

と言ってくれることは間違いありません。



ここまで拙い文章を読んでいただきましてありがとうございました。

あんなに元気だったおばあちゃんがこの世からいなくなってしまうなんて、まだ半分信じられない気持ちもあります。

スマホに入っているおばあちゃんが写った写真を見たり、おばあちゃんのいないおばあちゃんの家に足を踏み入れると、何とも言えない不思議な気持ちになります。

いま、どんなに健康でも、それは永遠ではないということ。
明日何があるかなんて誰にもわからない。

だから、今したいことに全力で取り組む。
何をすればわからないときは立ち止まったっていい。

おばあちゃんが自分らしく必死に生きたこの世界で、私も自分らしく必死に生きたいと思います。






















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