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漠然とした不安ってナニ?


生まれた時から永遠の病み期、先天性のネガティブ人間のわたしがこれまでの人生で最大の、いわゆる“病み期”を経験して得た知見。


始まりは全くわかりません。何月何日の何時頃、こういうことがあったから。それがわかれば解決も早いだろうが、気が着いたら落ちていた。



じゃあどうして気付いたのかというと、『今、背中をちょんと小指で押されても、抗うことなく飛び出せるな〜』と思った。『今の自分なら躊躇いなく何でもできそうだ!』という自分が怖くて、呼吸を促迫させながら居ても立っても居られず電話なんて滅多にしないマブダチに泣きながら電話をかけてしまったのである。



そうして、知ることができた。自分は今、「漠然とした不安に駆られている」状態だと。


漠然とした不安って何だろう??


感情とは明文化も証明もできない至極抽象的なものであるがゆえに、人間の数だけ答えがあるというのに。


わたしはなぜ不安なのか、どうすれば不安がなくなるのか、そもそも不安とは一体何なんだろうか、などと1つの答えを探して、ぐるぐると思考を巡らせてしまったのだ。


結論、表題にもしてしまったが、“漠然とした不安とは何か”に対する答えは、無し。そもそも愚問だった。


絶対に満点を取らせたくないからと、「解無し」と答えさせる問題を作る中学時代の数学教師を思い出し、自分の人生も最期まで満点には届かないんだろうな、とも悟らされてしまった。



しかし人間というものは、各々大小はあるだろうが「漠然とした不安」と、一生付き合っていかなければならないもので。


ストレスや緊張はある程度あった方が良いと言われるように、これも良い刺激となるのだろうか。なんて自己解決しつつある。



じゃあ今は復活したのかと問われると何とも答えられない。今ある予定はできるだけキャンセルしたいし、同期と仕事の愚痴で盛り上がりたくもない。

相変わらずLINEもInstagramもイチから作り直したいし、今いる環境から離れた全く知らない世界に飛び込んで新しい価値観を手に入れたい。



けれど、この重い話をnoteに書けるくらいには、毎月1つはnoteを書こうと決めていたのに5月をすっ飛ばし、間違えたらノートを何枚か破って新品同様1ページ目から書き始めるようなわたしが1ヶ月ぶりにnoteを更新できるくらいには、復活していると思う。



やれやれ、どうしてこんなに小説チックなんだ?
そう思われていることでしょう、、申し訳ありません。友人から借りた、「傲慢と善良」を読んだばかりなのです。


感情に左右されすぎているわたしですが、感情を分析して明文化できた時にやっと、自分の中で消化されていくような気がして。
毎回このような何とも読みにくい気持ち悪い文章を記してしまうのです。

こんなところまで読んでくださった方は、本当にモノ好きで勇敢だと思います。本当に感謝しています。


またわたしが「漠然とした不安」に出会った時。
次は我が物顔で挨拶をして思考を止め、受け入れてあげられていますように。



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