冗談みたいな身体

腰痛を口実に在宅勤務をし、文鳥は大喜びである。毎朝10時のミーティングに「ピッピッ」とわたし以上の熱意で参加し、仕事するわたしを見守り、ノートをチェックし、パソコンの机やら何やら嬉しそうに跳ね回っている。本当にかわいい。

年末にわたしはこのヒトをたいそう怒らせてしまった。このヒトはわたしの興味関心が他のものに向いているとすぐわかる。そして機嫌を悪くする。およそ自宅にいる限りそのようなことが起こるはずもないのだけれど、絶対ではない。年も押し迫ったある日、やってしまった。完全にこのヒトではなく別の存在を優先し、ほとんどうつつを抜かし、このヒトのことを忘れかけた。
そして(当然のことながら)こまは激怒した。

ここで大島弓子さんの有名な言葉を引きたいと思います。

あの白黒猫もあののら猫もサバも
猫ってどうしてたやすく人をゆるすのかなあ
または忘れるのかなあ
わたしはいままでどれだけゆるされただろう
または忘れられただろう

『アンブラッセ』大島弓子

こまはなかなか忘れない。たった一度の過ちを許さない。でもそろそろほかの気持ちになりつつあるのかもしれない。あるいは新しい記憶ないしは信頼を積み重ねている最中なのかも。

生き物はどうして人をゆるすのかなあ(ゆるさない場合もある)、または忘れるのかなあ(忘れない場合もある)。
そう、わたしは9か月近く積み上げてきたものを一夜の過ちで失いかけた女。

よきこはそうじゃなかった。よきこはなんというか、あんまりそういうことを気にしていなかった。会いたいなあ、よきちゃん。

あっ、また怒ってる!

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夕方にいったん仕事に区切りをつけ、整骨院へ行く。これで治らないと面倒なことになる。
腰が痛いと頭が働かない。動けない以上にそちらのほうがつらい。

8:59に電話をした。
「30分でもいいので診ていただけませんか」祈るような気持ち。「18時まで空いてないんだよね」よかった、本当によかった。
18:01に呼び鈴を鳴らそうとしたら先生が中から扉を開けようとしているところだった。

見栄に取り憑かれた人間であるため突然ジムで運動し過ぎたことは伏せたい。「クローゼットの掃除をしていて」とかなんとか言いかけると「年末年始寝てたんでしょ?」って、ひどい、ひどすぎる。寝てたけど。

結論から言うと、治りました。
わたしの身体はふざけているのか。

信じられないくらい全身が痛かった。先生も「たった2週間で何でこんなに固くなるの?」と訝しげではあった。
なんだか申し訳なくなってジムに入会したこともウエイトトレーニングをやり過ぎたことも全部伝えたがもはや信じてもらえない。なんでよ。

足がめちゃくちゃ固かった。特に太腿が。
わたしの一番好きな機械、あれのせい。
20回という回数は変えずに(もしくは増やしても)ウエイトを軽くするしかない。極限まで重くすれば良いってものじゃないんだよバカだね。
なぜとならばもう2度とこんな痛い思いをしたくないから。それで、いつから再開できるかな?

まったく、なんというか、やれやれだよね。

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