おはようございます。こんにちは。こんばんは。
シュウジです。
みなさんは、周りの人を差別したことありますか?それとも、されたことありますか?
差別とは?一方の区別とは?
このように多くの人々が勘違いしている「差別と区別」の概念についてまずは述べました。女性だから、男性だからという概念については前回の記事に書いたので省略します。
人種と差別と区別
世界には190カ国以上に及ぶ多様な人種がいる。クリエイティブな職業が得意な人種もいれば、事務的な職業が得意な人種もいる。そういった云わばポケモンのようにタイプで分けることは「差別」に当たるのあろうか?種族値、個体値、努力値の三値のように、人それぞれに個体差があるのではないかと私は思う。同じ日本人でも、頭の良い人間、学校での勉強はできないが人とのコミュニケーションが得意な人間、コミュニケーションが苦手でもクリエイティブな才能を持っている人などのように様々な人々がいる。ポケモンで例えるなら岩タイプのポケモンに炎タイプになれというのは不可能であるように企業や社会はその人にあった仕事を振るべきである。アメリカ人はコミュニケーションが高い。確かにこれは私も思っているが、これは差別ではなく、統計的な観点で言ったら正しいことである。これを差別というのではなく、適切な分類として認知されるべきことであると私は思う。適切な分類は差別ではなく、区別であると私は思う。
差別が生まれる理由
差別はではなぜ生まれてしまうのであろうか?それは、一言にいうと、その人や職業、物事に対して「何も知らない」からではないだろうか?理解できない、理解しようとしない、そういったネガティブな感情が生み出す云わば人間の本来の本質である。アジアンヘイトやアジア人差別というものは、欧米諸国の人間がアジアにフォーカスを当てたキレイごとの番組や妄想によるものである。だから、無視すればいいことである。逆に我々アジア人はドラマの過剰な演出のせいでアメリカ人は「リンゴ丸かじりする」、デブと言ったマイナスの感情や勘違いを生み出していないであろうか?勘違いは差別生み出しかねないので正直なこと、思ったことは場をわきまえて適切に議論する必要があると私は思う。
最後に
ここまで読んで下さりありがとうございました。みなさんはこの根深い問題についてどう思いますか?周りに流されずに、自分の頭で考えることの重要性を伝えれたいいと私は思います。
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