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お花リレー2024

驚くことに、ここ1か月私の家に代わる代わる花が飾られている。
つい最近まで家にある植物といえば、冷蔵庫の中のキャベツかニラかネギしかなかったはずだ。

私は植物を育てることがどうも苦手で、しばらく家には置いていない。植物への知識がない上に面倒くさがりである。もっと言うと、「 枯らす 」ことに怯えている。

数年前、暑さしのぎで入った観葉植物店でその見た目と機能性に一目惚れし購入した食虫植物のウツボカズラ。部屋に迎えてしばらくは、そのサックスのような「 虫が入っちゃうところ 」の繊細さに見入った。その後「 室内よりも虫の多い外にいる方が活躍するのでは? 」という粋な計らいから、真夏のベランダで日向ぼっこさせてあげることに…。翌日窓を開けると、セミの抜け殻のごとくカリカリになっていた。調べたところ、直射日光が苦手だったらしい。最悪の采配だった。枯らしてからも湧き上がる罪悪感から捨てることが億劫になり、ベランダで引越しまで何ヶ月かそのまま待機させてしまった。

日を置いて「 今度こそは! 」と植物を迎えるが、こんな調子なので同じような道を辿り…を繰り返した( 前科は3犯 )。頭ではわかっているはずだが、ぐびぐび水を吸収して成長している時ではなく、まるで自らの死を悟ったかのようにぐったりとうなだれるようになり、ようやく私は植物が生きてることを実感するのだ。つい最近まで元気だった会社の後輩が、ぷつっと糸が切れたように会社に来なくなったあの時のように。

ウツボカズラを日光に晒し続けた私のことだから、元気そうだという安心感から無自覚に配慮のない行動をしていたかもしれない。植物が枯れ果てた姿は、日常はうまく隠れているそんな自分の冷酷さや無責任さをノンバーバルに訴えかけてくる。もう自分を信じることはできず、植物との生活は諦めるようになった。ベランダにある空っぽの植木鉢は、ただ雨水を溜めては乾きを繰り返してる。

そんな植物っ気がない家に、突然花束フィーバーが訪れた。

4月から部署移動した彼が送別の品として貰って帰ってきたブルーを基調とした花束。

いつも太陽のように眩しく笑う友人の結婚式でブーケトスしない代わりに、と引き出物と一緒に貰った彼女にぴったりのオレンジのガーベラを中心とした花束。

婚姻届の証人を引き受けてくれた彼との共通の友人がくれた、幸せを具現化したような花束。

しかもちょうど飾っている花々が枯れるタイミングを見計らって、次の花束がやってきている!家にはもちろん花瓶なんぞないため、母が作った柚子ジャムを渡してくれたビンや、勿体なくて保管していたマーロウのプリンのビンが思わぬ形で活躍している。最初にお花をいただいた時点で花瓶を用意すればよかったのはわかっている。ただこんなにも奇跡的にリレーがつながるとは思いもよらず、完全にタイミングを逃してしまった。

絶対に正解ではない飾り方


今飾っている花が枯れるまであと1週間といったところだろうか。貰った時よりも、花が開いてきた気がする。大サプライズがない限り、次はないだろう。花束をくれる人々のご厚意に甘えて、枯れることに向き合わずに走り抜けてきたこのリレーはゴールが近づいている。

枯らさないように育てないと、という圧から解放されるだけでこんなに手放しに真っすぐ楽しめるものか。この文章を書いている最中も柔軟剤のフローラルの香りとは比にならない甘くて生々しい匂いが漂っている。ちゃんとおいしいとこどりしている自覚はある。「 子どもはかわいいが、産み育てるハードルを考えると他人の子をインスタで見るだけで充分 」みたいな。何もかも私には自信と責任がないことは分かった。ただ、植物があることで生活にハリが生まれる感覚を受動的にではあるが感じた。

ここから私はまた植物とは疎遠になるのか、花を買って未来の自分にバトンを渡すために走り続けるようになるのか…。

今言えるのは、インスタで見つけた「 レゴでできた花 」に惹かれているということ。この度の経験から、永遠をできるもんなら手にしたいと思った。結局どこまでもご都合主義なのだ。早く大人になりたい。


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