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ファジイな痛み
どうしてか言えば良かったのかな
この文章は現在書いたものではなく、2001年2月18日に個人ウェブサイト「plustic mind *」に掲載したものです。
僕はPSY・S(サイズ)というアーティストが好きだ。中学生時代、これを聞きながら僕は青春時代を過ごしたのだ。ちょうど初めて人を……男性を好きになった頃。好きになった相手は、同じクラスの同級生だった。
その頃、僕は成基学園という京都にある有名進学塾に通っていた。だから殆ど毎日を京都で過ごしていた。塾の先生は物凄く魅力的で、個性的な先生が集まっていて、授業の水準も高かった。はっきり言って、僕は塾での授業が大好きだった。
でも、僕は殆ど授業に出たことはなかった。
初恋の相手に会えないからだ。相手は地元の塾に通っていて、塾に行く時間・帰る時間が全然違う。それでもなんとか時間を合わせようと、僕は毎日塾をサボって彼と同じバスに乗った。バスで彼と過ごすほんの10数分がその頃の僕の至福の一時だった。
彼は……僕の気持ちに気付いていた。女の子に僕がからかわれると、いつも「こいつは女性恐怖症やから」とかばってくれていた。僕自身、別に女性恐怖症などではなかったのだが、彼がそうやって僕の側に立ってくれるのが嬉しくて、いつもその彼の態度に甘えてばかりいた。
高校に入って、僕と彼は違う高校に進学した。それでもたまに行帰りの道で会っては、いろいろな話をした。音楽の話も例外ではなかった。
なぜそんなことになったのかは分からない。ある日、彼とまた出会った僕は、PSY・Sについて話をしていた。そこで「一体どのアルバムが一番いいのか」についてで彼と喧嘩してしまった。下らないことで喧嘩したものである。
彼がその時いいと言っていたアルバムが『アトラス』というアルバムで、僕は大していいとその時思っていなかった。むしろ僕はその次に出た『シグナル』の方がいいと信じて疑わなかった。
散々言い合いをして、僕達は気まずい別れ方をした。なんだか僕の胸の中で、妙なもやもやが晴れなかった。
その日、彼は死んだ。
彼のバイクが隣で走っていたダンプカーのタイヤに巻き込まれ、彼は自分のバイクとタイヤの下敷きになって10mも引き摺られて死んだ。僕がその話を知ったのは、その次の日のことだった。事故現場には、彼の血痕がどす黒く残っていた。傍らに同級生らしき高校生たちからの花束があった。花束には「天国からみんなを見守っていてね」と書かれていた。
家に帰っても、なぜか涙が出て来なかった。僕は永久に彼に謝る機会を失ってしまったのだ。時間の経つのが遅くて、苦しかった。
ぼんやりと『アトラス』を聞いた。彼が死ぬ直前に僕に勧めたアルバムだ。その中の『ファジィな痛み』という曲に差し掛かった所で、僕は気付いた。そうか、この曲があるからこのアルバムは至高であり得るんだ。彼はこの曲の良さに気付いていたんだ。
あまりに出来過ぎていた。まるで今の自分自身の気持ちを代弁するかのような曲だった。でも、その気持ちを伝える相手は、もうこの世にはいない。謝ることも出来ない。
涙が熱かった。
それから僕は自分以外の誰かが死ぬのが嫌になった。誰かが死ぬ前に自分が死んでやろう。そう思うようになった。
これは後から聞いた話だが、彼が死ぬ前に僕に一言だけ言い残していたらしい。「すまん」。それだけだった。
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