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不登校の始まり


長男が学校に行けなくなった小学校2年生から、早5年。

何があっても時間は流れますね。

幼稚園時代から、とにかく毎朝大泣きで登園していた長男。わりと穏やかな性格だったし、下の子もまだ小さかったこともあり年中から入園。最初こそ、連れ去られるように先生に託し、心が痛んで帰り道に涙して。

それにも慣れて、幼稚園は泣きながら行く場所だという錯覚に。自由保育の幼稚園だったので、行ってしまえばお迎えに行く頃にはスッキリした顔をしていて、粘土や虫の観察など好きなことにひたすら打ち込んでいた様子。

もうすぐ卒業を控えた年長さんの冬休み明け、突然「幼稚園で遊べるのはあと少ししかない!」と、いきなり登園に前向きになり、ピタッと泣かなくなって、子どもなりにタイミングってあるんだな~と関心していました。

確かに、幼稚園の写真を見ても、お友達と関わって遊ぶというより一歩下がって見ているような子だったし、ママ友のあるある話もなんだかかみ合わない気持ちも抱えていたけれど、先生から指摘もないし、「子どもってそんなものかな。」と気にせずそのまま入学。

学校へ行くのが不安で、毎朝門まで送って先生にバトンタッチする日々が続いていた2年生のGW明け、先生から「息子くんは言えばわかる子だから、お母さん具合悪いとかいうことで一人で家から出してみて下さい。門で私が待ってます。」という言葉に、さすがに2年生になっても送り続けるのはマズイかと思い、「一人で行きなさいモード」にシフトチェンジしたら、学校に向かえなくなりました。

学校に行けない理由がわからなくて、行かなくていいという選択肢が私の中になく、先生も「連れてきてくれれば何とかします!」と、どうやって学校に来させるか。という話しかなくて、私は先生を信頼し、息子の体に出るまで抱えてでも学校に行かせていました。

穏やかな彼が、通学路の途中で靴も靴下も脱いで大泣きして抵抗する、逃げる、それを先生と大人2人がかりで抱えて学校に連れて行ったっけ。

今思いだしても胸が痛みます。(少し大きくなってから、良かれと思ってやっていたとはいえ、あれは申し訳なかったと謝りました。。。)

そんな日々が数週間続くうちに、おう吐、耳閉感、明日のことを考えると…と布団の周りを徘徊し始め、最後は「生まれてこなければよかった…」とシクシク泣く7歳児に、私は頭を殴られた気持ちになりました。

先生に泣きながら電話をすると、「息子くんは語彙が豊富ですから。言葉のあやなところもあると思うので、あまり深く受け止め過ぎないで大丈夫ですよ。」と。・・・慰めてくれたつもりだろうか。そう思いたい。

でも、これは違う!!と一気に目が覚め、一旦学校から身を引く覚悟ができました。

夜な夜な、検索するうちに「ギフテッド」という言葉に行きつき、その様子があまりに彼にピッタリで目から鱗。これだ!!!と、途方に暮れていた子育ての糸口を見つけたような気持ちになりました。

思い返せば、3歳までなかなかおしゃべりしないなと思ったら、突然赤ちゃん言葉や2語分、3語分…とか段階をすっ飛ばして大人のような口調でしゃべり出したり、幼稚園で図鑑にハマるとひらがな、カタカナ、漢字を書き始めるし、3ケタの足し算をどんどん歌を歌うように暗算し、「どうやって考えたの?」と聞くと「心をずらす」って返事がきたり、かけ算、わり算の概念がわかると、身の回りの物をやたらかけ(わり)だしたり(でも九九の暗記には苦労してた…)、家の外で遊んでいて17時に帰っておいでと言えば、時計を持って行って17時ジャストに帰ってくるとか、ちょっと賢いところがあるのかな?と思いつつ、比べる対象もなかったので「子どもってそんなもんか。」と、気に留めていませんでした。

学校へ行くのをやめ、生き物が大好きな息子と虫取りに行ったり、パズルをしたり、工作をしたり…好きなことをしている時の彼は、本当に水を得た魚のようにキラキラ楽しそうで、ああ、こういう姿、見えてなかったな…と思いながら、それまでも、本屋に行けばドリルを買ってくれと、端から端までドリルを買っていたくらい(1冊が2時間で終わってしまって、なんて不経済な子なんだ…と嘆いていた時期。)学ぶことは好きだったので、家で勉強をしつつ博物館や美術館に通っているうちにどんどん元気になっていきました。

ハマり性なところはもちろん今も健在で、一日が24時間じゃ足りないとぼやくほど趣味にあふれて楽しそうです。(そんな姿がうらやましく見える。)



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