「TOWN-0 PHASE-5/平沢進」についての歌詞考察と人生観

僕はいわゆる「馬の骨」と言われる存在ではないが、考察をしたので聞いてほしい。

僕がこの曲に出会ったのは、平沢進にすこしずつ興味を持ち出してからの浪人時代だったと思う。僕は宅浪をしてて勉強が苦痛だったので音楽を聴いて心をいやそうとしていた。その時に出会ったのがこの曲だ。

この曲はテクノというよりは不思議とバラード調で、聴いているとメタな近未来感、少し時間軸が違った世界の1980年代感があってエモい。
この前衛的な感傷に浸れるのは師匠の作った音楽作品だけであるといっても過言ではないのかもしれないな。

さて歌詞を追ってみていこうか。

【歌詞全文】
頭上を見ろ ビジョンはハードコア
メタルブルーの 広告の空

歌おう りりしく
金切り声上げ
しみるよ しみるよ
胸の奥

この世の人 気は確かか?
賢者がまた 飛び降りてる

押し寄せ 押し寄せ
キミの呼ぶ声が
深くで 深くで
胸の奥で

行こう すれ違おう「愛はいかが?」と
今夜 真実の街角で
行こう すれ違おう「愛はいかが?」と
今夜 真実の街角で

押し寄せ 押し寄せ
キミの呼ぶ声が
深くで 深くで
胸の奥

路上の人 ディナーはお済みか?
天使をまた 飢餓にさらして

歌おう りりしく
金切り声上げ
押し寄せ 押し寄せ
キミの声が

行こう すれ違おう「愛はいかが?」と
今夜 真実の街角で
行こう すれ違おう「愛はいかが?」と
今夜 真実の街角で

一文ずつ解釈して飲み込んでいこうか。その後に全体を総括して、この歌詞で平沢が何を伝えたかったのかを邪推してみよう。


…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

【頭上を見ろ ビジョンはハードコア
メタルブルーの 広告の空】

これは、頭上、すなわち社会を概観してみると、ビジョン=見通しがハードコア=過激なもの となっていることを表しているのではないか。社会情勢が荒れていて、メタルブルー=冷淡であって先が見えない、広告の空=資本主義のある種のメタファーを批判しているのである。よってこのフレーズでは激動の社会に対する一種の諦念と、資本主義に対するある種の憤怒が表象されていると私は考える。

【歌おう りりしく金切り声上げしみるよ しみるよ胸の奥】

歌おうりりしく=このような逆境の中でも勇気を出して声を上げよう。
金切り声上げ=悲鳴にもならない悲鳴を出す。
しみるよしみるよ胸の奥=心中に生じる悔恨の念。

【この世の人 気は確かか?
賢者がまた 飛び降りてる】

このフレーズでは社会問題となっている自殺を取り上げていると感じられた。賢者=この世の真理に気が付き達観をしている人間が 飛び降り=自殺をしていることに対して、気は確かかと、ある種の慰めにもとれる言葉でオブラートに歌詞を緩和していると見受けられる。

【押し寄せ 押し寄せ
キミの呼ぶ声が
深くで 深くで
胸の奥で

行こう すれ違おう「愛はいかが?」と
今夜 真実の街角で
行こう すれ違おう「愛はいかが?」と
今夜 真実の街角で

押し寄せ 押し寄せ
キミの呼ぶ声が
深くで 深くで
胸の奥】

ここで一旦歌詞はサビに入る。この部分ではキミ(=原風景的な何か)を希求して胸の奥底で悲鳴を上げているようなそんな悲しい心の声が聞こえる。真実の街角というものはないのかもしれない。

【路上の人 ディナーはお済みか?
天使をまた 飢餓にさらして】

路上のヒトというのはホームレスのことであり、ディナー=一日で最も豪華な食事 はお済みか? と歌詞中で問われている。ゴミをあさるホームレスにとってはディナーは縁遠いものであり、なんともこうした皮肉な言葉遣いは平沢の得意技というべきであるか。また、天使=発展途上国や虐待を受けている子供、貧困家庭の子供 を飢餓に晒すというのは社会の不平等性の隠喩であり、社会の宝ともとれる子供をそのような状況に陥らせるということは社会が根本的に腐敗していると平沢は言いたかったのではないか。この二文からわかるようにこのフレーズでは社会が弱者に対して無慈悲冷淡であることをアイロニーにかけて表現している。

【歌おう りりしく
金切り声上げ
押し寄せ 押し寄せ
キミの声が

行こう すれ違おう「愛はいかが?」と
今夜 真実の街角で
行こう すれ違おう「愛はいかが?」と
今夜 真実の街角で】

※くり返し 
全体を総括するような文章である。


以上の歌詞から読み取れるように平沢はある種の社会問題に対して音楽の歌詞にその批難を盛り込んでいる。気づく人間には気付けるものだし、全くおバカな人間にはただの音としてしか表象されない、その程度のメタファーである。彼は言葉を音としてではなく、音を言葉として表現することにその妙がある。
ぜひあなたも平沢進を聞いてみてはどうか

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?