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向き合う、という言葉の真摯さ

今から、だいたい3年前。

現職に転職したてだったわたしは、とにかくなんでも数をこなそう、耐力をつけようと思って、どんなことにも素直に「はい!やりたいです。ありがとうございます!」と仕事に取り組んでいた。
もちろん知識もスキルもないので、ちょっとした作業とか調べ物とか、そういったものも多かったかもしれないが、弊部署の先輩方は、どんなことでも、ただ「やって」ではなく、なぜこれが必要か、どうしてこうしてほしいかとか、すごく丁寧に説明してくれたから、それなりに納得して仕事していたし、できることも少ない中役に立てることが嬉しかった記憶がある。

そんなかんじで少しずつ仕事を覚えて割と作業を抱えていたとき、いつものように「こういう仕事があるんだけど、どうかな?」と声がかかった。部署の中では歳も近かったので色々相談していた、頭のよく切れる先輩からだった。(今は転職されている。)

特に考える間も無く、わたしは「やります!」と言ったんだと思う。即レスも即レス、瞬レスだ。

それに対して先輩が

「向き合える?」

と一言。

文字が脳まで入ってくるか入ってこないかくらい瞬間的に、全ての思考が止まった。

その言葉の衝撃さったら、なかった。

「向き合える?」というたった6文字の中で、「俺と一緒に貪欲に考えてくれるか。この仕事の意義を問い、課題を見つけ、価値を生み出せるか。そこまで考えて言っているのか。」って、言われているような気がしたのだ。

「やれるか、できるか、ではなくて、向き合えるのか。」

ちょっとの言葉の違いなんだけど与えられた印象が全然違くて、多分その時のわたしの状態も相まってだろうが、鈍器で頭を叩かれるくらい衝撃だった。

とにかく当時のわたしは、やれるか?と聞かれたら「気合いでやります!」だし、できるか?と聞かれたら「寝なければできます!」っていうマインドでいたので、向き合えるか?と聞かれた瞬間止まってしまったのには正直びっくりしたし、それくらい、わたしはちゃんと考えられてなかったんだなと、瞬間的に悟った。

結局その仕事にはジョインして、紆余曲折ありながら無事にロンチしたのだけど、それからは大なり小なりどんなことを始めるにも「向き合えるか」を自問してから取り組むようになった。

そうしたら途端に、どんなに小さな重みもわかるようになったし、言われたままにすることがいい意味でなくなったし、いろんな人の顔を浮かべて考えるようになった(チーム、代理店さん、クライアントさん、その先のお客さんとか、親とか、みんなの顔)。
本来仕事する上で姿勢としては当たり前のことなんだけど、がむしゃらになってしまいがちだった当時、こういうことで自分から気づけたのはよかったなと、先輩には本当に感謝している。

(ただ、先輩が、わたしに対してどういう意図があって、「向き合える?」と聞き返してくれたのかっていうのは、実際聞いていないので、あくまでもわたしが勝手に衝撃を受けて勝手に感謝している話である、というのは補足しておきたい。)

これからも、真摯な姿勢で恥じないように、生きて、たくさん仕事しよう。

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追記:2020/02/21

そんな先輩は、同期の先輩方と3人で会社を立ち上げた。3人とも、尊敬する大好きな先輩方だ。先輩方の、すごい覚悟と、夢と、未来が詰まった会社。
どんなお仕事をされるのか、一ファンとして、本当にドキドキするなあ。
心から、おめでとうございます!