わがままと言われる優位性。

※ これらは、僕がFacebookに日々したためている文章を、せっかくならとnoteにも投稿させて頂いたものです。気が向いたら、note用の文章も書くかも。こうしてあなたの目に留まったのも何かのご縁。ゆっくりしていってね!

【 わがままと言われる優位性。】

どうも、なんだかんだカラオケは好き、鈴木です。

カラオケと言えば、ヒット曲ですが。

しかしですね、現代のマーケティングチャネルは酷く複雑怪奇に煩雑になりましたよね。

恐らく今から十年前にはまだ、インフルエンサーの第一次世代がその影響力を萌芽させ始めた程度の時期でして。

まだまだレガシーメディア、いわゆるテレビ、新聞、雑誌、ラジオが影響力の大勢を占めていました。

その為、当時のマーケティングや広報は、いかにして視聴率の高い番組やラジオに取り入り、ゴールデンタイムを占拠できるか?という、今から考えれば非常に原始的かつ独占的な手法が幅を利かせていたのですがしかし。

今は、違いますね。全く。全然。比べるまでもなく。

僕の周りでは、恐らくテレビを持ってない家が半数は占めるんじゃないかなと。

( とは言っても、肌感覚の話しであって、きちんと計測した事は無いので、分かりませんけど。でも、小中学生の時分の様に、昨日あのテレビ番組見た?なんて会話は、もうここ何年してない事でしょう。)

今思えば、メディアが一部の人たちに独占されていたなんて、考えられもしない事ですね。

2010年代後半に入っても、例えば一部のテレビ番組では、YouTubeという表記を使う事はご法度で、インターネット上の動画視聴サイトなんてテロップが入っていました。

( その割りにはインターネットからネタもとを引っ張ってきてましたよね。ああもうここら辺でやめておきます。)

それを思えば現代は。

なんて自由なマーケティング市場なんでしょうか。

もちろん、資本力はあった方が良いに決まってますがしかし。

その資本の調達でさえ、いかにしてマーケティングするかに掛かっている時代。

ジャスティン・ビーバーでさえ、YouTubeにその出自を持ちますからね。

自由奔放、複雑怪奇。

インターネットにより民主化された民衆の才能の、頂上決戦。

地球規模で行なわれる、異種格闘技総力戦。

ああ、なんてエキサイティング!

... 導入なのに盛り上がり過ぎました、僕の悪い癖です。反省 ( してない ) 。

さて。本日は何について書こうかなと思いまして。

これだ!と。

ー わがままになってみる。

ふと思いついた内容について、書き殴ります。

皆さん、わがまま、言ってますか?

それとも、わがままだって言われた経験はありますか?

僕はありますし、自分の事をわがままだと思います。

( 知ってる人は知ってるかもですが、僕は結構自由人。)

でもですね、ふと冷静になって考えてみて欲しいんですが。

わがままって、絶対的なものでしょうか?

絶対および客観で押し計れるものなのであれば、定性および定量的な言語数値化ができなくてはいけませんね?

うん、それは難しい。じゃ、ないですか?

ならば、わがままって、どこで何をするとわがままなんでしょうか?

逆に、何をしなければわがままじゃないと言われて然るべきなのか?と。

哲学的および修辞的な話しになって参りましたがしかし。

わがままの定義を語るには僕には難し過ぎるので、思った所感をば。

個人の意見です。

僕は、もっとわがままになりたいなと思います。

こうやって言うと、なんだか酷い事を宣言してるみたいですが。

でも、聞いて下さい。

ただ、わがままになるというのと、わがままであり続けるという事の間には、絶望的な能力の隔たりがあると思うんです。

わがままであり続けるって、かなりの実力を有しないといけません。

普通、どこかのタイミングで鼻が折れたり、人が離れたりと、わがままを通すデメリットにぶち当たるからです。

何が言いたいかと言うと、わがままでいられる様にする為には、わがままを言っても相対的に許してもらえる、代替価値を有しないといけません。

つまり、あれだけしてもらってるから、今回のわがままぐらいは笑って許してやるか。

そう思ってもらえる存在に、自分自身がなる必要があるという事です。

代替価値の提供をすればするほど、提供者のわがままへの許容が、トレードオフで進むはずだと考えるのです。

僕はもっと、わがままを主張したいし、わがままを通したいと思うんです。

鈴木ならいっか!って、笑って言ってもらえる頻度と深度を、上げなくてはいけないと思うんです。

ここから逆算するに、もっともっと価値の提供ができる人間になることが、どうしても最低条件になる訳ですね。

わがままさえ言わなければ、コンフリクトは発生しないんですがしかし。

虎子に入らずんば虎子を得ず。

何も主張をせずに、要求も持たずに、わがままを言わずに過ごすには、人生はあまりにも退屈過ぎます。

わがままでい続ける為に、自身の価値を上げていく。

一般論ではマイナスに捉えられがちなわがままですが、どうせこの世は相対的。

どうせなら、何も言わない自分より、笑って許してもらえる自分を目指します。

わがままな自分も含めて、自分らしさを大切に。

はい。本日も、お粗末様でした。

年末に、乱文乱筆お目汚し。

皆さんの、大切なお時間を頂戴しました事、本日も感謝を致します。

いつも本当に、ありがとうございますね。

それでは、また明日。数えれば今日で92日目。100日まで、カウントダウン。

余談 ... 本日は年の瀬に、元総務大臣のしんどう義孝先生のお話しを伺ってきました。非常に舌戦が強く勇名を馳せる先生のお話しは、いつ聞いても雄弁で。あのディスカッションの強さには憧れます🗣

雄弁さとは裏腹に、お優しい人柄も素敵。

追記 ... よくよく考えたら、せっかく外部に弊社 ( というか僕だけど ) を出すのに、繋がる先が無いともったいないなと!

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