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ながらcast3/138 【未読本紹介】「22世紀の民主主義」(成田悠輔、SBクリエイティブ)

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今日はまたまた読めなかった本、読まなかった本ということで「未読本」の紹介をします。

このシリーズは図書館でリクエストしたり、見かけて借りたにも関わらず、結局2週間という貸出期間中に読まなかった本を、そのまま返すのはあまりにももったいないので、前書きとか目次を紹介して、もう一回借りるかどうかを判断しようという企画です。

「クイズ!あなたは小学5年生より賢いの?」っていうテレビ番組に出て、先日のポッドキャストで私が言及した「東大を主席卒業」「世界大学ランキング1位マサチューセッツ工科大学博士号」「アメリカの大学で教鞭」「世界が認める最強知識人」「世界が認めた経済学者」(以上「クイズ!あなたは小学5年生より賢いの?」のテロップより)成田悠輔さんの本を借りました。あの番組を見てるだけじゃよくわかんないし、出ていた小学5年生が自分の父親が総理大臣になってほしいと言ってます、なんて言っていたので、どんな人かな?ってちょっと興味を持ったので借りてみました。

「22世紀の民主主義」っていうタイトルで、「選挙はアルゴリズムになり政治家はネコになる」というサブタイトルがついてます。SBクリエイティブから出版されてますね。この人をネットで調べた時に、共著でない単著の本がこれしかなかったので迷うことなくこれを借りました。

最初の前書きに相当する部分が3つ、28ページあって

  • A はじめに断言したいこと

  • B 要約

  • C はじめに言い訳しておきたいこと

っていうところで、要約もあるので、これ読めばいいんじゃないかなっていう気もします。全体の流れを説明すると

  • 第1章 故障

  • 第2章 闘争

  • 第3章 逃走

  • 第4章 構想

  • 終わりに

ですね。最初のところをちゃんと読めば、一応伝わるんじゃないかなっていう気はします。以下引用します。
なお、ここまではポッドキャストの文字起こしをベースにしていますが、これ以降はこのnoteのために書き下ろしています(一部書き起こしベースも含みます)。

A.はじめに断言したいこと

 分厚いねずみ色の雲が日本を覆っている。停滞と衰退の積乱雲だ。どうすれば打開できるのか? 政治だろう。どうすれば政治を変えられるのか? 選挙だろう。若者が選挙に行って世代交代を促し、政治の目を未来へと差し向けさせよう。選挙のたびにそんな話を聞く。

 だが、断言する。若者が選挙に行って「政治参加」したくらいでは何も変わらない。今の日本人の平均年齢は48歳くらいで、30歳未満の人口は全体の26%(※1)。全有権者に占める30歳未満の有権者の割合は13.1%。21年の衆議院選挙における全投票者に占める30歳未満の投票者の割合にいたっては8.6%でしかない(※2)。若者は超超マイノリティである。若者の投票率が上がって60~70代と同じくらい選挙に行くようになっても、今は超超マイノリティの若者が超マイノリティになるだけ。選挙で負けるマイノリティであることは変わらない。

 若者自身の行動も追い打ちをかける。日本の若者の投票先は高齢者の投票先とほとんど変わらないという事実だ。20~30代の自民党支持率は、60~70代とほとんど同じかむしろ高い(※3)。ということは、若者たちが選挙に行ったところで選挙結果は変わらないし、政治家にプレッシャーを与えることもできない(※4)。

 もっと言えば、今の日本の政治や社会は、若者の政治参加や選挙に行くといった生ぬるい行動で変わるような、そんな甘っちょろい状況にない。数十年びくともしない慢性の停滞と危機に陥っており、それをひっくり返すのは錆びついて沈みゆく昭和の豪華客船を水中から引き揚げるような大事業だ。

 具体的には、若者しか投票・立候補できない選挙区を作り出すとか、若者が反乱を起こして一定以上の年齢の人から(被)選挙権を奪い取るといった革命である。あるいは、この国を諦めた若者が新しい独立国を建設する。そんな出来損ないの小説のような稲妻が炸裂しないと、日本の政治や社会を覆う雲が晴れることはない(※5)。

 私たちには悪い癖がある。今ある選挙や政治というゲームにどう参加してどうプレイするか? そればかり考えがちだという癖だ。だが、そう考えた時点で負けが決まっている。「若者よ選挙に行こう」といった広告キャンペーンに巻き込まれている時点で、老人たちの手のひらの上でファイティングポーズを取らされているだけだ、ということに気づかなければならない。

 手のひらの上でいかに華麗に舞って、いかに考え抜いて選挙に行って、「#投票に行こう」とSNSに投稿したところで、今の選挙の仕組みで若者が超マイノリティである以上、結果は変わらない。ただの心のガス抜きだ。それを言ってはいけないと言われるけれど、事実なのでしょうがない。

 これは冷笑ではない。もっと大事なことに目を向けようという呼びかけだ。何がもっと大事なのか? 選挙や政治、そして民主主義というゲームのルール自体をどう作り変えるか考えることだ。ルールを変えること、つまりちょっとした革命である。

 革命を100とすれば、選挙に行くとか国会議員になるというのは、1とか5とかの焼け石に水程度。何も変えないことが約束されている。中途半端なガス抜きで問題をぼやけさせるくらいなら、部屋でカフェラテでも飲みながらゲームでもやっている方が楽しいし、コスパもいいんじゃないかと思う。

 革命か、ラテか? 究極の選択を助けるマニュアルがこの本である。

※1 総務省統計局「人口推計 2022年(令和4年)4月報」2022年4月20日
※2 総務省「国会議員の選挙における年令別投票状況」
※3 2021年衆議院選挙の出口調査によると、世代別の自民党の支持率は、
NHK18・19歳:43%、20代:41%、30代:39%、40・50代:36%、60代:34%、70代以上:38%
朝日新聞10代:42%、20代:40%、30代:37%、40・50代:35%、60代:33%、70歳以上:37%
日本経済新聞:10代:36.3%、20代:36.7%、30代:38.2%、50代:36.7%、60代:30.5%、70歳以上:31.6%
※4 実際、19年の参院選では若者の投票率が上がっていたとしても選挙結果にはほとんど変化がなかったことを示すシミュレーションがある。徐東輝「もし若者の投票率が上がっていたら参院選はどう変わっていたのか」(選挙ドットコム、2019年)
※5 「出来損ないの小説」と口走ったことをお詫びする。日本語だけでも井上ひさし『吉里吉里人』、村上龍『希望の国のエクソダス』、島田雅彦『浮く女沈む男』といった独立国家小説がある。

『22世紀の民主主義』(成田悠輔、SBクリエイティブ、p.5-8)https://note.com/sbcrwebbooks/n/ne23e4232d44f

脚注と参考文献を一緒にしないで

上の引用からも分かりますが、この本やたら文章の後ろに※1とか※2という番号がいっぱい付いてます。これは巻末にある「脚注」を見に行くと参考文献やら解説やらがありますよという印なんですね。つまりこれらの文にはちゃんと裏付けがあるよ、ということですね。いかにも学者が書いたって感じの文章です。

残念なのは、脚注と参考文献が一緒になってしまっていること。上で言えば、※1、※2、は「参考文献」に相当するので、巻末にまとめていいのですが、※3、※4、※5は解説や補足説明に相当する「脚注」なので、本来であれば同じページに、せめて章末に付けてもらえると読みやすいんですが、いちいち本の最後まで飛ばなければならんのは、なんとも読みにくい。※5などは「出来損ないの小説」呼ばわりしておいてからの「お詫び」という一人ボケツッコミが、わざわざ巻末まで行かないとわからないという、せっかくのユーモアが伝わりにくい結果に。なんとももったいない。

実際のところ、ほとんど参考文献なので、いっそ巻末の「脚注」という表記は「参考文献」にして、本来の脚注はそのページ(もしくは見開き)内で処理した方がスマートな気がします。

「A.はじめに断言したいこと」を読んでみて

私なりに要約してみると、若者は超超マイノリティなので選挙に行ったって変わんないよ、行ってもただのガス抜きで、民主主義っていうゲームのルールを変えなきゃダメだ(=著者がいうところの「ちょっとした革命」)。革命が100なら選挙に行くとか国会議員になるのは1とか5で焼石に水、中途半端なガス抜きで問題をぼやけさせるくらいなら、部屋でカフェラテでも飲みながらゲームをやってる方がいいって話です(この言い回し初期の村上春樹の小説に出てきそう)。結局Aの部分の最後は「革命か、ラテか?」というオシャレな?問いかけで終わります。

なんでこういう結論になってるのかっていうのを読み解いていくと、若者は30歳未満の人口が全体の26%で、全有権者に占める30歳未満の有権者の割合が13%、21年の衆議院選挙の全投票者に占める30歳未満の投票者は8.6%だから超超マイノリティだよっていうことですね。だから一生懸命選挙に行っても、超超マイノリティが超マイノリティになるだけで選挙で負けるんだっていうことをまず言ってます。

1つ目の疑問:選挙は世代間の争いなのか?

最初の疑問は、なんで選挙が世代間の争いになってるんだろう?ってことですね。「若者(30歳未満)の有権者 vs その上の世代」っていう対立の構図を何の脈絡もなく前提もなく言ってくるのがぶっ飛びすぎてて、頭のいい人だから「そんなことを言わなくたってわかるでしょ」っていうことじゃないかと思うんですが、私には全然わかりませんでした。

これは私だけの感覚かもしれないと思ったのですが、成田さん自身が脚注(本来の参考文献)で触れている徐東輝さんの「もし若者の投票率が上がっていたら参院選はどう変わっていたのか」(選挙ドットコム、2019年)にも「世代という区切りには意味はないのかもしれない」と書かれていたので引用します(※1)。

え、若者の影響力ってないってこと…?1票の価値って…?

さて、ここからが本題です。
個人的にはこのデータが示すメッセージこそが最も重要であり、本質であると考えています。以上の分析からわかったことを列挙いたします。
比例代表を動かすのは、ドント式というシステム上、非常に難しい(若者の投票率云々という以前に)
・よく見る言説として、「若者は自民党支持だから、若者が投票に行けば自民党が更に大勝していた(有利だった)」という言説は安易であり、データに基づけば眉唾ものである。
・選挙区レベルでは、若者の投票率の上昇によって変動していた可能性のあるところがある。
(個人的にはここからが重要)
・若者の投票の重要性は、「ある議員を当選させられるかどうか」という点のみならず、「若者が票田になることで若者向けの政策にアプローチする政治家・政党を増やす」点にもある。
・上記の算定は、投票に行った若者たちの投票先政党の出口調査に基づいた「推定」に過ぎず、実際に選挙に行っていない若者の動き方いかんでは大きく異なる可能性がある
・そもそも、世代という区切りには意味はないのかもしれない。世代間対立を煽るより、それぞれ一人ひとりが思考し、投票することで、この推定は大きく変わりうるし、二度とこんな分析は不要になるだろう。もはや「若者が~」とくくる必要などない。
・一票に価値がないはずなどない。今回数字をたくさん触ってわかったことは、この数字に現れている「投票にいった人」は確実に国に、政党に、政治家に認識されており、そして彼らの声を聞こうと(得票するために)また政治家たちは動き始める。この分析は、一票に価値がないということを示しているのではなく、同じ思いをもった一票が集まって民主主義が動いていくのだということを伝えられれば、これほど幸せなことはありません。

もし若者の投票率が上がっていたら参院選はどう変わっていたのか(結城東輝(とんふぃ))https://note.com/tonfi/n/n1ec68d82a67a

この中で「そもそも、世代という区切りには意味はないのかもしれない。世代間対立を煽るより、それぞれ一人ひとりが思考し、投票することで、この推定は大きく変わりうるし、二度とこんな分析は不要になるだろう。もはや「若者が~」とくくる必要などない。」とあるので自分だけの考えではないなと安心した次第です。それにしても、成田さんはこの部分をスルーしてしまっているのか、そもそも世代間対立なんて煽ってないというのか、さすがにここだけでは判断できません。

2つ目の疑問:若者たちが選挙に行ったところで選挙結果は変わらないのか

次にわからないのは以下の部分です。再度引用しますが、分かりやすいように、脚注も一緒に付けておきます。

若者自身の行動も追い打ちをかける。日本の若者の投票先は高齢者の投票先とほとんど変わらないという事実だ。20~30代の自民党支持率は、60~70代とほとんど同じかむしろ高い(※3)。ということは、若者たちが選挙に行ったところで選挙結果は変わらないし、政治家にプレッシャーを与えることもできない(※4)。

※3 2021年衆議院選挙の出口調査によると、世代別の自民党の支持率は、NHK:18・19歳:43%、20代:41%、30代:39%、40・50代:36%、60代:34%、70代以上:38%朝日新聞:10代:42%、20代:40%、30代:37%、40・50代:35%、60代:33%、70歳以上:37%日本経済新聞:10代:36.3%、20代:36.7%、30代:38.2%、50代:36.7%、60代:30.5%、70歳以上:31.6%
※4 実際、19年の参院選では若者の投票率が上がっていたとしても選挙結果にはほとんど変化がなかったことを示すシミュレーションがある。徐東輝「もし若者の投票率が上がっていたら参院選はどう変わっていたのか」(選挙ドットコム、2019年)

『22世紀の民主主義』(成田悠輔、SBクリエイティブ、p.6)https://note.com/sbcrwebbooks/n/ne23e4232d44f

「『絶対安定多数』を単独で獲得(※2)」した2021年衆議院選挙の「出口調査」の結果だけを見て、高齢者も若者も自民党支持率が変わらないんだから「若者たちが選挙に行ったところで選挙結果は変わらない」っていうのは、あまりにも論理が飛躍しているように思います。学者でもなんでもない素人の私でさえ「他の選挙の時はどうなのか」「もう少し詳細な調査や、長いスパンの選挙動向を対象にした論文はないのか」という疑問が湧いてきます。自分の「断言」に都合のいい文献だけを我田引水的に引用している感じもします。

とはいえ、この本の「C.はじめに言い訳しておきたいこと」にご自身で「私は素人」と書いてあるので、そこまで調べる気はないのかもしれません(※3)。

もう一つ言い訳しなければならないことがある。この本のテーマについて私は素人だということだ。私は政治家でもなければ政治学者でもない。政治そのものについても、政治学や政治史についても、素人の部外者である。

『22世紀の民主主義』(成田悠輔、SBクリエイティブ、p.25)https://note.com/sbcrwebbooks/n/ne23e4232d44f

ただ、素人とはいえ「研究者としてちょっとは培ってきた推論力や分析力」があるでしょうし、テレビでお披露目した「論理的思考」(※4)があれば、「ちょっと無理があるな〜」となってもおかしくはない気がするので、おそらくヒラメキ、インスピレーション的な部分を大事にしているのかなと思います。

話を戻します。上の『22世紀の民主主義』の引用の中で「ということは、若者たちが選挙に行ったところで選挙結果は変わらないし、政治家にプレッシャーを与えることもできない。」と断言した上で、脚注では「実際、19年の参院選では若者の投票率が上がっていたとしても選挙結果にはほとんど変化がなかったことを示すシミュレーションがある。」と補足しています。興味深いのはこの参考にされた「もし若者の投票率が上がっていたら参院選はどう変わっていたのか」(結城東輝(とんふぃ))の最後の部分で「(個人的にはここからが重要)」として述べられているのは、同じ部分の引用を繰り返して恐縮ですが)、以下の通りです。

・若者の投票の重要性は、「ある議員を当選させられるかどうか」という点のみならず、「若者が票田になることで若者向けの政策にアプローチする政治家・政党を増やす」点にもある。
・上記の算定は、投票に行った若者たちの投票先政党の出口調査に基づいた「推定」に過ぎず、実際に選挙に行っていない若者の動き方いかんでは大きく異なる可能性がある。
・そもそも、世代という区切りには意味はないのかもしれない。世代間対立を煽るより、それぞれ一人ひとりが思考し、投票することで、この推定は大きく変わりうるし、二度とこんな分析は不要になるだろう。もはや「若者が~」とくくる必要などない。
・一票に価値がないはずなどない。今回数字をたくさん触ってわかったことは、この数字に現れている「投票にいった人」は確実に国に、政党に、政治家に認識されており、そして彼らの声を聞こうと(得票するために)また政治家たちは動き始める。この分析は、一票に価値がないということを示しているのではなく、同じ思いをもった一票が集まって民主主義が動いていくのだということを伝えられれば、これほど幸せなことはありません。

もし若者の投票率が上がっていたら参院選はどう変わっていたのか(結城東輝(とんふぃ))https://note.com/tonfi/n/n1ec68d82a67a

この部分を読むと、筆者の結城東輝(とんふぃ)さんの思いは、このシミュレーションはあくまで「推定」で、選挙に行っていない若者次第で変わる可能性がある、一票に価値がないのではなくその一票で民主主義が動いていく、言い換えると若者に選挙に行ってほしいということだと私は考えます。そしてそれは、成田さんの「だが、断言する。若者が選挙に行って「政治参加」したくらいでは何も変わらない。」「若者たちが選挙に行ったところで選挙結果は変わらないし、政治家にプレッシャーを与えることもできない。」という考えと正反対のように思えます。特に後者の文の脚注(補足)として、意図するところが正反対の結城東輝(とんふぃ)さんの記事を使うのは、どういうことなんでしょう?公開されているものをどう引用するかは自由ですが、何か納得のいかないものを感じます(※5)。

「革命か、ラテか?」という二者択一からこぼれ落ちるもの

中身を読んでもいないのに、なんでここまでこだわるんだろう?自分でもわからないまま、書いてきましたが、多分私にとって本の中身よりも「A. はじめに断言したいこと」の内容(「若者が選挙に行って「政治参加」したくらいでは何も変わらない。」「若者たちが選挙に行ったところで選挙結果は変わらないし、政治家にプレッシャーを与えることもできない。)にどうしても引っかかってしまうんですね。

もし、この二者択一を鵜呑みにしてしまうと、次の選挙の時に若者はどうすればいいのでしょうか?これだけ「若者が選挙に行っても何も変わらない」と刷り込まれた上で、「ちょっとした革命(その内容はまだ未読ですが)はまだ無理だから、ラテでも飲んでゲームでもした方がコスパがいい」って流れになって、選挙に行かないことを正当化するだけではないか、と危惧してしまいます。

正直私だって「自分のたった一票で何か変わるんだろうか?」と思うことはあります。ただ、その一票は同じ思いや価値観を持った人たちの一票とつながって一つの潮流になる可能性があるし、たった一票でも、それは候補者や政党を応援する気持ちとしてきっと届くと信じて、選挙に行っています。選挙は「勝ち」か「負け」だけではないと思います。「勝ったけど対立候補が思ったよりも伸びてギリギリだった」「負けたけどこんなに票が集まった」といった得票数が、その後の政策や政治活動に影響を与えるはずだと信じています。そういう意味では、無駄な一票などない、と思っています。

私の気持ちは先ほど引用した結城東輝(とんふぃ)さんの言葉に明解に表されています。くどくなって恐縮ですが再度引用します。

・一票に価値がないはずなどない。今回数字をたくさん触ってわかったことは、この数字に現れている「投票にいった人」は確実に国に、政党に、政治家に認識されており、そして彼らの声を聞こうと(得票するために)また政治家たちは動き始める。この分析は、一票に価値がないということを示しているのではなく、同じ思いをもった一票が集まって民主主義が動いていくのだということを伝えられれば、これほど幸せなことはありません。

もし若者の投票率が上がっていたら参院選はどう変わっていたのか(結城東輝(とんふぃ))https://note.com/tonfi/n/n1ec68d82a67a

おわりに

ここまで、「22世紀の民主主義」(成田悠輔、SBクリエイティブ)の「A.はじめに断言したいこと」を読んで思ったことを書いてきました。

疑問点として、
1)選挙は世代間の争いなのか?
2)若者たちが選挙に行ったところで選挙結果は変わらないのか?
の2点を挙げ、論拠の弱さとこの本で成田さん自身が参考文献としてる「もし若者の投票率が上がっていたら参院選はどう変わっていたのか(結城東輝(とんふぃhttps://note.com/tonfi/n/n1ec68d82a67a」の記事を引用しながら、そうではない可能性を示唆しました。

次に、成田さんが「この本のテーマについて私は素人」ながら「断言」した
若者が選挙に行って「政治参加」したくらいでは何も変わらない
若者たちが選挙に行ったところで選挙結果は変わらないし、政治家にプレッシャーを与えることもできない。
という考え方は、先の結城東輝(とんふぃ)さんの記事の考えと正反対であること、にもかかわらず結論だけを引用していることを指摘しました。

最後に、上の断言や「革命か、ラテか?」という極論で迫る二者択一からは、若者が選挙に行かないことを正当化するだけではないか、という危惧を持っていることを書きました。テレビによく出演しているらしい成田さんが、こういう言説を振り撒くことのは、果たしてどういう影響があるのか、不安です。

この本、どこまで読むか分かりませんが、読んだらまた報告するかもです。

脚注

※1 なお、成田さんの引用元は「選挙ドットコム」というサイトですが、そのページの最後に「この記事は、徐東輝(とんふぃ)さんがnoteで書かれた記事になります。多くの方に読まれてほしいと思い選挙ドットコム編集部が転載のお願いをしたところご承諾いただきました。」と書かれていたので、元のnoteの記事を引用します(この文章もnoteですしね)。
※2 【衆院選2021まとめ】第49回衆議院議員選挙結果ふりかえり(選挙ドットコム、2019年)
※3 とはいえ、こうやって一冊の本を上梓され、帯に「経済学者・データ科学者・イェール大学助教授・半熟仮想(株)代表」と書いてあるのにやたら「素人」を強調するのは謙虚過ぎる気がします。
※4 「クイズ!あなたは小学5年生より賢いの?」2023年12月8日放送分で、「人工衛星の横に付いている羽根のようなものの役割は?」という問題で、「A:翼、B:カメラ、C:太陽光パネル」という選択肢から「自分の論理的思考力を試したい」と発言しながら「C :ソーラーパネル」を選んで見事正解して、自身の論理的思考力を示しました。
※5 もし私が筆者の立場であれば、こういう使われ方をされたら嫌だなと思うでしょう。もちろん、どこでどんなふうに引用されるかは筆者にもコントロールできないので、それ自体はどうすることもできませんが、抗議の意思表示をするかもしれません。そう思って、結城東輝(とんふぃ)さんのnoteを見てみたら、「21.5世紀の民主主義について」と題して「成田悠輔さんの『22世紀の民主主義』(以下「本書」)を拝読したので、その内容を咀嚼しながら、現実の民主主義の脆弱性に立ち向かおうとしている身として過渡期における「21.5世紀の民主主義」について、整理しておこうと思います。」「なにか書評っぽいものを書こうとなぐり書きをしていたら、いつの間にか著者へのラブレターのようなものになってしまった。」としっかり好意的に紹介していました。私がこだわっている部分には全く触れていなかったので、拍子抜けしました(笑)。多分、私の考えは重箱の隅を突いているだけで、全体を通して読めば、私が感じた「正反対の考え」は誤解でお二人の考えは近いのかもしれません。なんせ、最初のところしか読んでませんから。


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