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それぞれのゴール

私と夫は同じ事でもゴールが違う。

昨日仕事で遅くなりそうだったので
夫にお迎えを頼んだ。

ただいまと扉を開けたら
玄関には2人分の鞄とリュック。
その奥には投げ飛ばされたであろうプールバッグと
ひっくり返った麦わら帽子。

手に持っていた自分のカバンを肩にかけなおし、
それらの荷物を両手で抱えてリビングまで運ぶ。

洗濯が必要なものを鞄から取り出して
洗濯機の中に入れ、配布物のチェック。
制服をハンガーにかけ、麦わら帽子をいつもの定位置に。
水筒本体とカバーを分けて、台所のカウンターに置く。
空のプールバッグと鞄とリュックは大きなカゴに入れる。

私のお迎えのゴールは”ここ”なのだ。


よく「男の人は言わないとわからないから」と聞くけど、本当にその通りだと常々思うし、見て学べ、察して動けは通用しない性だと私は思っている。

要するに、お迎えのゴールは“ここ”ですよと
言語化しないと違うゴールに入れられてしまう可能性がとても高い。


一方で、言語化するにはそれなりのエネルギーも必要で、日常生活において、とくに夏場は無駄なエネルギーの消耗は避けたいので、逆方向のゴールに向かってなければそれでいいと思っている。

夫のゴールはそこ。
私のゴールはここ。

そういう割り切りかたもあると知っていたほうが、楽なときもある。




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