「悪事千里を走る」が比喩でない時代の【若気の至り】とは如何に
僕は、池袋の有名待ち合わせスポット「いけふくろう」の上に悪ふざけで乗っかったことがある。
高校卒業の頃だったように覚えているので、もう20年以上前のことだ。スマートフォンも各種SNSもこの世にまだ存在しなかった。
自分の記憶には、【若気の至り】として格納されている。
まさか1人でそんなことをしたわけではない。
何人かの友だちとはしゃいで悪ふざけしていたのだ。
酔っぱらっていたのか、何かのバツゲームだったのかはよく覚えていないけれど。
(年齢確認のない頃でした。カラオケでは20才と書けばお酒が頼めました。)
友だちがインスタントカメラで写真を撮っていたような気もする。
もしも、1人1台スマートフォンを持っているのが当たり前となった今、高校生が酔っぱらって「いけふくろう」に乗ってはしゃいでる写真が全世界に繋がるSNSにアップされたとしたら、炎上して大変なことになるのかもしれない。
高校を退学させられたり、大学入学が取り消しになったりするのかもしれない。
(特定の企業に迷惑をかけているわけではないので、そんなことないのかもしれない。)
インターネットが繋がって便利になったのは間違いないのだけれど、いろいろなことがクリアになりすぎたことで窮屈になっているようにも感じる。
きっと、【若気の至り】は、記録に残さないから、狭い範囲でしか共有されないから許されることがあるのだと思う。
1000年前の若者も、100年前の若者も、今の高齢者が若者だったときも、バカみたいなことではしゃいだり悪ふざけが過ぎて怒られたりしていたはずだ。
もしかしたら、お仕置きで叩かれたり、1週間くらい無視されたりしたかもしれない。
若者はいつの時代もやんちゃで、悪ふざけして怒られて、を繰り返して大人になっていくのではないだろうか。
「悪事千里を走る」という言葉があるが、もはや比喩ではない。
今や千里どころか世界中にその日のうちに拡散可能な時代だ。
大前提として、誰かに迷惑をかけることはよくないし、悪いことをしたら謝った方がよい。具体的な損害が発生したなら、それを償う必要もあるだろう。
でも、実際に被害にあったわけではない第三者までが目くじら立てて怒ることでもないと、個人的には感じる。
先日、勤め先で「アンガーマネジメント研修」なるものに参加した(参加させられた)。
印象に残ったのは【怒りは連鎖する】というフレーズ。
いつも思う。
みんな仲良くすればいいのに。
24時間テレビは好きではないけれど、
「愛は地球を救う」と信じている。
みんな仲良くすればいいのに。
いつまでも【若気の至り】に寛容でありたいし、弱いものに強くでるというようなみっともないことをしないようにと思う。
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