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人生の浪人

 大学受験の浪人生ではなくなったが、私の人生は常に流浪人として各地を放浪としている。何事も経験だと自身を煽り奮い立たせて、やった事も見た事も無い業種に飛び込むのはもうそこまで怖くはない。そういう生き方が性に合っていると今更ながらに気が付いた。私はキャンパスの敷居を大手を振って跨ぐことはなかったが、それでも普通に大学に通っていた人間とは違う経験をして来たという自負があった。浪人自体を勧めも辞めさせもしないが、私が言いたいのは「大学に通う事が人生の全てではない」という事である。

 大学を卒業すると社会の見る目は大きく変わるかも知れない。だが個人的には、本当に何でも出来る時代に生まれているのがもう既に奇跡であり、それを大学に受かる為のみに割いてしまっているという状況が勿体無い事に早く気付くべきだと勝手ながらに思ってしまう。ただ人間の性として今までの時間、体力、そしてあり得たかもしれない未来の全てを空白の時間であったと自身に納得させる様な思考で放り投げるのは極端に難しく、もし実行するのであれば、それに耐えられるだけの精神力があるかどうかにかかってくるだろう。しかし空白とは言っても、勉強していた(続けられた)経験というのは人生において絶対に無駄にならない筈だ。

 人の生き方、選択には必ず理由がある。どんなに些細な事だと思われようとも、その人にとっては大きな理由となってしまうかも知れない。私が一人暮らしを始めた理由として、父との軋轢があった。いや、これはただ私が一方的に父の事を嫌いなだけだったのかもわからない。詳細は伏せるが家庭環境を経済的にも関係的にも悪くした張本人であり、その同じ轍を似ている私に踏ませたくないのか過保護になっていた。
よくある諭し文句として「私は貴方ではなく、貴方も私ではない」と伝えても聞く耳を持たなかったので、何とか家庭(実家)を抜け出す事を決心し外堀を埋めて落とし所を見つけようと画策した。

 父からの通信制大学の申し出を承諾した後、「奨学金をアテに一人暮らしを始めたい」と言うと父はまず頭ごなしに提案を否定する。そこまでは計算の内で、月々の支出と収入をざっくり書いて提出した。この時の奨学金の金額は、通信制大学の奨学金の金額(驚くほど安く支払いは年一回)ではなく普通の大学のものを記載、水増しして安定感を出した。正直なところその当時の収入でも生活が可能だったが、大学生となる一つの区切りを想起させるためのフェイクに近い。また、賃貸契約の手続きをほぼ済ませた状態でこの一人暮らしの話を父に切り出した。結果として父は大学を卒業する事を念頭に渋々ながら了承した。ここまでしてでも納得させないと後が面倒である事は明白だった。

その後自主退学した。その時点でもう一人暮らしが一年経過して生活できている事が証明されている為実家へ帰る必要が無く、一人暮らし計画は成功。過保護から抜け出すのはやはり難しい。卒業を念頭としていた為大学を辞めた辺りのいざこざもあったが、社会人として働き始めた今、もう掘り返される事もなくただ日々を過ごしている。

 浪人に関してと、一人暮らしを始めたきっかけと経緯を書いていたのは、私と同じく浪人という路頭に迷い、この後をどうしようかと考えている人を見かけたからであった。
私は浪人生というものから逃げた人間であり、私がその人に何かを言ったところで意味はなく、というより全ての発言が上から目線の様な気持ちの悪い文章になってしまうのでどう書くべきか迷っていた。実のところもう既に千字程書いた文章を没にするぐらいにどうしようか迷ったので、とにかく「私は好きにした。君も好きにしろ。」という精神で今までの経緯を書いた。

 自分の人生だから、浪人するも良し、全てを放って怠けるも良し、遊び呆けるも良し。
未来は後からどうにでもなるので、些細な事でも今何がしたいかで生きるべきだと私は思う。

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