考える人間の悲惨さについて

外山滋比古さんの著書
「思考の整理学」はいつ読んでもはっとさせられます

私が教育という分野に興味を持ち始めた時
手に取り一気に読んでしまったのを覚えています
(あの本は薄いので、1年間かけてハリーポッター 賢者の石を読んだ私も1日で読めました)


ところで、学校の生徒は、
先生と教科書にひっぱられて勉強する。
自学自習ということばこそあるけれども、
独力で知識を得るのではない。
いわばグライダーのようなものだ。
自力では飛び上がることはできない。
思考の整理学 外山滋比古

なるほど、と。
学校教育とそこで学ぶ私たちに
とても的確な指摘をくださいました

確かに学校では
いかに集団に合わせて行動し
先生に従順であるかと言うことが大切になります

そこでこの本では
自分で考えられる人間になれ、と
そう記してあるわけです


ですが…
「実際、こんなん頭がめちゃめちゃキレてる
天才にしか無理なんじゃない!?」

って思いませんか

そりゃ頑張りますよ
私だって
自分で考えよう考えようと
考えすぎてうろちょろしていました

私は長年、直感で物事を判断していた人間なので
考えると言う作業は大いに私の体力を消耗させるのです(笑)

考えることは難しい

頭の中に何一つ情報がなければ
絞り出したとしても捻出できるものはゼロに等しい
から雑巾を絞る、といった表現も本にはあった気がしますが

あー。
今は、神様を強く信仰し
極楽に行けると信じた昔の人が羨ましいなと感じます

目標がない時代を生き抜けるのは
やはり考えない人間なんじゃないかなと思ったり

人間は考える葦
なんて機能発達させたご先祖様に物申したいです


と今日は
昨日母が作ってくれたゴーヤチャンプルを横に
書いております。

ゴーヤの苦さが最近になってクセになってきたのはなぜでしょう
大人特有の強がりが、出てきてしまったのでしょうか!
成長しました

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