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アレック・ソス展にみる「導かれる生きかた」

神奈川県立近代美術館葉山に、写真家アレック・ソスの展示にいってきた。
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/exhibition/2022-alec-soth

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アレック・ソスの写真の第一印象は、「緻密」
全体の構成、置いてある小物の場所、椅子の向き、並んでいる人の間隔、すべてが緻密に設計されている。少なくとも写真の中には、偶然性というものが存在しないように見えた。

それは同時に、わたしが過去に観てきた写真展は、偶然撮れたもの、とりわけその時空を飛んでいた鳥や通りかかった人々が、作品を構成する大きな要素として写真に収められていることに気づかされる(ソール・ライターなど)

アレック・ソスは、テーマやコンセプトを事前に練り、それをベースに作品を撮っていく。いわば、映像作家のようなドキュメンタリストのような、ジャーナリズム的要素を含んだ作品だ。

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今回の展示では、「Broken Manual」の撮影旅(延々と車を走らせ人を訪ねる旅)を追った57分のドキュメンタリー映画『Somewhere to Disappear』(2010) が上映されている。その中でアレックは、「一枚の写真が、次の写真を連れてくる。何かに運ばれている感覚を意識している」ということを語っていた。

車を走らせ、ハンドルにキーワードを書き連ねながら、感性を研ぎ澄ませ、過去に写真を撮った人達を訪ねたり、人を紹介してもらったり、旅先で出会った人と距離を縮めて、魅力的な被写体を見つけている。そのプロセスは、とても偶然性に満ちていた。

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写真や展示のキャプションからは、なぜ彼が「Broken Manual」というテーマを設定したか、その背景に何があるのかが汲み取れず、気になっていた。

けれど、その撮影旅を追ったドキュメンタリーでアレックは「逃避や引きこもる生活に憧れがあった。逃避は魂をさらけ出す行為」と言っていて、「もし自分の隠れ家があったら?という空想がプロジェクトの出発点になっている」というようなことを語っていた。そういった背景が分かると、その作品がぐっと自分の近くに感じられる。

その撮影旅で出会った何人かは、恐らく社会に馴染めず、社会や権威を極端に恐れている人であったり、親から愛されず育ったことで自分を愛せず、すでに亡くなっている親からの愛に未だに飢えている人だった。彼らは、その寂しさやぶつけようのない怒りを、逃げて逃げて辿り着いた場所でさらけ出していた。その場所は、引きこもっている奇妙な家だったり、洞窟や荒野だったりする。

抱えている哀しみや絶望から逃げることで、かえって徹底的にそれらと向き合わざるをえない場所に閉じ込められ、それに囚われてしまっているような気がした。(映画「ノマドランド」はポジティブな文脈だったけれど、魂をさらけ出す(生きかた)という点では描かれているものは似ていると思った)

アレック・ソスについて、ドキュメンタリー映画で印象的だったのは、道中ものすごくインスパイアされる被写体に出会ってしまい、アレックの中でその存在が消化できず、いまは撮影できないから出直してきていいか、とその場では一切撮影をせず、被写体の男性に聞いていたこと。この時にしか撮れない写真があるはずなのに、自分の中で整理できなかったり、何をどうやって撮ればよいかイメージが決まらないときは「やらない」という選択をするのがちょっとびっくりした(完璧主義なのか、フィルム代が高いのか、どうしてだろう。。。)

「Broken Manual」で逃避を徹底的に追及したアレックは、「Song Book」という「つながり」をテーマとした作品をその次の作品として発表している。これも大変見ごたえのある展示で、「Broken Manual」とはうって変わって地域社会(コミュニティ)を中心とした作品だった。1つのテーマが次のテーマを連れてきてくれるとはこのことだろう。徹底的に向き合ったからこそ、次のテーマが降りてくるのかもしれない。次はどんなテーマに導かれるのだろう、会期中にもう一度訪れたい展示だった。

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