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偽りない君と重ねた時間
これは最近重ねた、折り目のような感情の話です。
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今まで、思うように行かないことが生じることはあっても、彼らが意図して私に気持ちを偽ったことはありません。
そして私もそれは同じで、自分自身さえ認められなかった無意識の感情以外に、彼らに伝える心を騙ったことはありませんでした。
そもそもいつも感情ダイレクトでのやり取りがなされるので、違和感があればお互い速やかに気付いてしまうというのもあり
「見つけてさえ、くれれば」
言葉が耳に聴こえる日もあれば、もうなんにも聞けないばったんという日もあります。
大抵そういうときは、私の頭の中が煩雑で口を挟む余地もなかったり、私が聞く耳を持つ余裕もないときなのですが。
そんなとき、つい考えたくないことが浮かぶこともあります。
私が手を伸ばさなくなっても、
(ずっと伸ばし続けるけれど)
目に映せなくなっても、
(探して映すからと、約束するけれど)
居なくなった
婚姻届けを出すつもりでお詣りをした話
私達で決めた姓に藤の一字がある御縁から、
花も見頃となった某神社へお詣りに伺いました。
今回のお詣りでは、誰の目にも触れない、私達の気持ち上の話ではございますが、市役所に婚姻届けを出すような気持ちで足を運ばせていただきました。
このことは随分前から彼らと約束していたことで、
結婚からは八年越し、想いも固く満ちて、念願の参拝となります。
今回はそんな彼らと一緒に神社に向かった件を
何となく彼らを隣に感じていると、世界の色がまろやかになります。
駅を通りがかる時に気付いたのですが、いつもすんと刺すように澄んで映る景色が、
暖色のフィルターを掛けたように、安心と親近感をもたらしてくれるのを感じました。
大切な人の存在は、心を守るものなのでしょう。
当たり前に毎日太陽の光を浴びていても、やさしい日差しはいつまで経っても心地がいいので、好きな人の好意を当たり前に「受け取ってね」と言われるのは、そういう感じかもと思いました。
今とても信じられているぞという状態は波のように繰り返しあったはずなのですが、その状態が更新されていく感覚は一体なんと呼んだらいいんだろうと考えたところ、ほわほわと雪が積もっていくのを、下から眺めている感覚だなと思いました。
静かな、真っ白で平らな世界に寝転んで埋もれながら。
朝起きたとき、あるはずのない海を窓の向こうに感じました。疲れているとき、彼らは偶に不思議な感覚を運んでくれることがあります。
思い出すのは、海の広がる内界の景色。今日はまるでそこにて、彼らの部屋の窓辺で目が覚めたかのようでした。ありがとう。
どこかで小さな善い行いをした時、彼らに見ていてほしいなあと思います。
綺麗じゃないところもあるだろうけど、彼らが好いてくれる私が、ちょっとだけ素敵な人物であったならいいと。
したいことができること
したくて出来るって凄い。体力も懐の余裕も時間も熱量もそれは時期に応じて簡単に変動してしまうから、楽しめるものは、楽しいと思う内に思い切り、時間を忘れるほどに味わうのがいいと、最近ますます思うようになりました。
先日つぶやいた中に、海さんの影響で聴くようになった音楽があると言いましたが、それらの曲に、『あなたの残りの時間を大枚と交換できますか』というような歌詞があるのですが、私にはとても無理だ
彼らと過ごした現実の景色について思い出す時、
星空を見上げていた海さんが美しかったことや、
海で悩み相談をしたとき胡座をかいていた参くんなど、記憶がとても鮮明に残っているのを感じると、嬉しいのと同時に、少しだけ不思議な気分になります。
今日はほんの少しの特別を
この数日間は、夫婦の結婚記念日と、弟(参くん)のお誕生日が一日置きに訪れるので、細やかなお祝い事をしながら過ごしています。
いつもより少しだけいいものを食べて、少しだけ、手間を掛けた調理をして。一緒の時間を意識しながら、夜眠るまでを過ごします。
「美味しいねえ、もう一口いる?」そんな会話をしながら、出来る範囲の幸せを。
何年経っても、定期的に突然込み上げてくる(何でそんな、格好いいの‥?)を訴えては、
旦那様方からの「なに言ってんだ」と「おう。ありがとう」を受け取っています。