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真面目

 「花岡さん / 咲良ちゃんって真面目だね」 。
先生や友人にそう言われて生きてきた。
相手は“褒め言葉”として言っているのかもしれないが、私はそうは捉えない。ハッキリ言って嬉しくない。

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“真面目” でいることは損することの方が多いと思う。そもそも、“真面目” とは何か。

①真剣な態度・顔つき。本気。
②まごころがこもっていること。誠実なこと。

広辞苑

 “真面目” と聞くと何をイメージするか。
「勉強ができる」 「頭がいい」 「賢い」 「堅い」 「楽しくなさそう」 など、たくさんあるだろう。しかし、私は勉強はできない。頭もよくない。逆に、勉強ができて国公立大学に進学している子もいるが、みんな“真面目”だろうか? そんなことはない、よく遊んでいる子も多くいる。
イメージとして「勉強ができる」というのはあるが、それは関係ないと思う。

短大では保育を学んでいる。音楽に力を入れていて、キャンパスの3階はピアノ演習室になっている。とてもいい練習環境だ。ピアノは2年間、複数の講義で行う。練習は、大学が開いている時間なら自由にできる。入学当初は放課後 友人と一緒に練習していたが、後期になるとだらけてきて練習する人が極端に減る。そんな中、ほぼ毎日ギリギリまで練習を続けていた。それは教授たちも知っていた。自分の中ではそれが“普通”だったけど、クラスメイトたちには“真面目”だと思われていた。何故だろうか。自分にはできないことをしていたら“真面目”になるのだろうか。

“真面目” と思われる要因は性格的なイメージだけではなく、外見も含まれているような気がする。例えば、眼鏡をかけている とか。悪く言ってしまえば、「ダサい」 「冴えない」 「パッとしない」 なのかもしれない。私自身も実際に眼鏡をかけている。前は黒縁眼鏡だった。堅く見えすぎるから、ボスリントン(ボストン+ウェリントン)型の細いフレームの眼鏡に変えた。結局、“あまり変わらない”そうだが…。黒縁眼鏡よりは良くなったんじゃないかな、と私は思う。

“真面目”というレッテルを貼られると、なんと言うのだろうか、遊んではいけないというか、“真面目”のままいなければまならないと感じてしまう。実は、それがプレッシャーになっていたりする。だから、誰にも相談できずに1人で抱え込んでしまったり。私が中学生の時は、今でも交流がある友人に 「真面目だね」 と言ってしまうことがあった。その当時、私は人生で1番成績が悪かったし、提出物も期限過ぎてからの提出、そもそも提出しなかったりと“当たり前”のことが出来ていなかった。だからきちんと期限を守っている友人のことを“真面目”というように思ったのだろう。本人がこの言葉をどう捉えていたのかは分からないが、今思えば言わなければ良かったのかもしれない、と。彼女は地元で2番目に偏差値の高い公立高校に進学した。しかし、彼女は「うつ病」 になってしまった。打ち明けられた時は驚いた。

“真面目” だと普段はあまり交流のない人間からも頼られることがある。例えば、定期試験の前に「花岡さんノート見せて」 とか。「いいよ」って貸すけれど。私は自分に自信がないから、頼られるのはちょっと苦手。信頼も何もなくて全く頼られない人よりはいいのかもしれないけど。

しかし、“真面目”って損することの方が多いなって気づいてしまった。短大の非常勤講師と放課後、色んな話をした。写真をやっているから芸術に関する話、悩み事の相談、価値観について。あるとき、“真面目”について話したことがあった。そのときだった。“頼られる”って行き過ぎると“やりがい搾取”に繋がる と。講師も言っていた、損することは多いかもしれないね と。

“当たり前”のことがきちんとこなせるってすごいことなのかもしれない。過去の私みたいにできない人もいるから。それができると、教師との信頼関係ってすごく深まるんだよね。それは嬉しかった思い出。

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