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デタラメな予言と、あの頃

 その日もけたたましい蝉の声から逃げるように、わたしはそそくさと定食屋に潜り込んだ。戸をガラガラと開けると、身体を労うかのようなクーラーの冷気と老舗独特のにおいが同時に迎えてくれた。「どこでもお好きな席...」と厨房からぶっきらぼうなご主人の声が聞こえたが、言葉の最後は鈍色の換気扇にスルスルと吸い込まれて、聞き取ることができなかった。


店の端っこに備え付けられたテレビは開店からずっと電源が入っているようで、今はワイドショーが垂れ流しになっている。何の気なしに目を移すと、「世紀の予言は大外れ?」というテロップとともに、専門家だという魚顔の男がベラベラと喋っていた。その男は「だから言ったんですよ、所詮ハッタリだって。人類が滅びることなんてないんですよ!あんなのデタラメですよ!」と終始言い放ち、キャスターが「一旦CMです」と伝えても話すことをやめようとしなかった。




さきほど頼んだアジフライ定食が運ばれてくる。


わたしがモグモグと食べている間もずっと、ご主人は画面に噛り付くようにそのワイドショーを見ていた。アメリカで発見されたUFOの話題に移ってもなお熱心に見ていたので、きっとスピリチュアルの類がお好きなのだろう。アジのフライは不味くもなく、かといってとびきりおいしい訳でもなかったように思う。神や霊といった未知のものに強く惹かれる人間が作る、ありふれたワンコインの定食。そのギャップが妙におかしくて、笑えてきて、正直そればかりが印象に残っていて味なんてろくに覚えていない。あと、わたしが小骨を喉に詰まらせた時、すぐに2杯目のお水を持ってきてくれたことだけはなぜかハッキリと記憶している。


「ごちそうさまでした」

金色のコインをテーブルに置き、席を立った。


わたしがお店を出る時もご主人はテレビに釘付けで、そのテレビの中では未だに魚顔の専門家がごちゃごちゃと場を荒らしていた。1999年の夏だった。




***




 結論からいうと、1999年の7月、人類が滅ぶことはなかった。16世紀に生きた医師の予言、ノストラダムスの大予言は的中しなかったのである。

8/1の朝になっても結局なにも起こらず、なんだか拍子抜けしてしまった。もちろん社会の歯車が止まるなんてことは全くなくて、みんな何ごともなかったかのように会社やら夏休みの宿題やらに追われ、今日も通常運転、といったところである。代わり映えのしない1日が既にゆるりと始まっていた。


この頃のわたしは、「どうせ99年にはきれいさっぱりすべて終わる」という思考がいつも頭の片隅にあって、何かに夢中になることを内心ひどく馬鹿にしていた。それは1997年、サッカー日本代表がイラン相手に勝利した"ジョホールバルの歓喜"の時も、1994年、小沢健二の2ndアルバムを購入した時も、そしてその4年後突如として彼が日本から姿を消した時も、こころのどこかではとっくに冷め切っていた。





いつかの夏の日、"どうでもいい"気持ちがピークに達したわたしは、ついに仕事をサボってしまった。駅前の公園に赴き、営業マンがJRの北口に吸い込まれていくのを肴にして、独りでアルコールをつついていた。品のない行為だったと思うが、当時のわたしにはそんな程度のことはこれっぽっちも関係なかった。いつか記憶は剥がれ落ち、どうせ人類は滅ぶ。すべてがわたしには関係なかったし、世の中の出来事がずっとずっと遠くに感じられた。むしろ自らそういう決断をして、意図的に社会と距離を置いていたのかもしれない。圧倒的な虚無感に支配され、なにもする気が起きなかった。身体は鉛が乗っかったかのように上手く動かず、重力さえも敵に回してしまったのか、とその時は軽く絶望した。


子どもたちの間ではこの世紀の大予言は、一大イベントの内の1つで、どこか夏祭りのような、"フワフワしたもの"という認識のようであった。


一方わたしは、結果的に大外れとなったそのポンコツな予言を心から信じていたし、なによりそれはあの頃のわたしの唯一の救いだった。娯楽に手を出してみても満たされない感覚ばかりがつきまとって、ずっと生の意味が見出せず苦しんだ。ストレートに言ってしまえば、生きることを諦めそうになっていた。99年にどうせすべてが終わるし、ひとまずそこまでどんなに無様で適当でも、どんなに面白くなくてもいいから生きてみるか、と思えたのは間違いなくノストラダムスのおかげであった。この世界から垂らされた糸をちょきん、と切ろうとしていたわたしを繋ぎとめてくれたのは、他の誰でもなく、魚顔の専門家にデタラメだ!と揶揄されていたあのノストラダムスだった。




***




 結論からいうと、1999年の7月、恐怖の大王が降ってくることはなかった。それにわたしはその後ものらりくらりと生きて、あれほど憎んでいて無意味だと思っていたこの世界のことも、ちょっとだけ好きになってきていた。




 今後の人生で、もし過去のわたしのような、生を断念しかけている人を見かけたら、わたしは言葉ではなく、そこら辺で買った年末ジャンボを雑に手渡すと決めている。言葉は時と場合によってはチープなものに成り下がるから、とりあえず年末までね、という思いを込めて宝くじを相手の手の中にねじ込む。そう決めている。かつてわたしが、ノストラダムスに「とりあえず99年7月までね」と書かれたチケットを渡されたように、いつかのわたしもそうするだろう。




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