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2024.8 データと思い出

Silvi1300が壊れた。

5月に譲り受けてから2ヶ月ほど。
もともと動作の怪しいカメラではあった。
36枚撮りのフィルムを24枚くらいまで撮ったところで起動とシャットダウンを勝手に繰り返すようになり、やがて完全に沈黙した。
壊れたときに入れていたフィルムは3,400円ちょっとのフィルムだったから、金額にしても落ち込んだ。自動巻き上げも使えなくなっていたため、フィルムを取り出すのにも苦労した。現像の結果が問題なかったことが唯一の救い。

で、壊れっちまった悲しみに耐えきれなかったため、同居人とふたりで愛しのSilvi1300を分解した。
ちいさなちいさなネジを外して、銀色に鈍く輝くはめ込みのボディをそっと外し、中の基盤がきれいなことを知り、接触を試してるうちにこれは…となり、気がつくとSilvi1300は直っていた。
とても嬉しい。
持つべきものは電子工作の得意な同居人である。

しかし素人のやっつけで一度直ったからといって、いつまた壊れるとも知れない。
もう一台、フィルムを入れたらあとは機械まかせで撮れる、どこにでも連れて行けそうな、いつ壊れても落ち込まないで済む値段のカメラを買うことにした。
その結果うちに来たのがPENTAX zoom280P QD。

私と同い年のカメラだ。
見た目はなんだかお弁当箱みたいで全く可愛くない。
しかし、触った感じは私が何をやらかしてもそれなりに写してくれそうで大変信頼感がある。
ちなみに日付設定は2019年まで。2024年にこのカメラが使われていることは想定されなかったのかも知れない。
とりあえず日付はあってもなくても良いので、早くフィルムを入れてたくさん撮ってみたいなと思っている。

ここまでがひとつ、前回noteを書いてから今までの間にあったこと。

続いてもうひとつ。
実は、来年の1月に展示をやろうとしている。

2025年の1/17(金)-1/22(水)、新宿眼科画廊で行う予定だ。
本当にやるんだろうか、自分で自分が疑わしいが、たぶんやるんだと思う。

それで、展示をやるにあたって拙宅のHDDに残っているこれまでの画像データを全て見返して整理していた。
日常から非日常まで全て。
えらく時間がかかったし、正直もうやりたくない。
整理するついでにHDDのクローンを1体作ったが、これにも時間がはちゃめちゃにかかって、たぶんこのHDDが飛んだらしばらくの間立ち直れないと思う。

HDDには、大学時代の画像データから残っていた。
ゼミ合宿の写真から卒業式の写真、見返しているうちに懐かしくなって、大学1年から4年までずっとお世話になっていた先生のお名前をググった。
母校で順当に役職が上がっていて嬉しかった。
私は、顔を合わせるのが申し訳ないくらいダメな学生だったが、その先生に対しては今でも本当に感謝している。
穏やかな日常を送っていて欲しい。

そんな感じで今日に至るまでの画像データを全て見返していた。
初めて撮らせてもらったポートレートや、花の写真、服の写真、好きなものがずっと変わっていないことを知った。やっていることもずっと変わっていない。
自分のあまりの変わらなさに、私は一生こんなんなんだろうか、と悲しくなった。
悲しくなって、でもそうやって生きていくしかない。
情緒がジェットコースターである。
一気に見返すとかやるもんじゃない。

で。
で。
で。
で、その流れで、見返してしまったのだ。
何を見返したかって?
1人目の夫と生活していた時の写真を。

私は2回結婚をしていて、今の同居人は人生の中で2人目の夫だ。
当然、今の夫の前には1人目の夫がいた。
ふわふわでくりくりで、私より14歳年上だった。
その1人目の夫との生活、一緒に行った水族館とか、新婚旅行で行ったイタリアとか、家の中の風景とか、飼っていた猫とか、そういった写真を全て、一枚一枚、見返した。

愛していた。
私は元夫のことを愛していた。
なぜ「愛していた」の一語しかないんだろう。
悲しさと嬉しさと憎しみと喜びと独占と喪失をひとつで表せる言葉があったならどんなに人の心が救われるだろう。

大きな喜びの中に殺してしまいたいほどの憎しみと、全てを手に入れた高揚感の横にぽっかりとした喪失と、好きと、嫌いと、自己愛と、嫌悪とが、全てがひと所に同居することがあると、10年遡って私に教えることができたらいいのに。

私は夫のことが好きだった。そうでなければ、誰があんなに、手を尽くして技を尽くして、夫婦関係を存続させようとしただろう。
そして愛してなかったならば、どうしてあれほど丹念に時間をかけて別れることができただろうか。

「好き」にも「愛」にもいろいろな形がある。そして、私の形と元夫の形は随分と違っていた。
そして、もう二度と会うことも、連絡を取ることもない。
私も元夫もそういう選択をした。

もし私がもう少し大人だったら、始まりがもう少し違っていたら、いい友人になれただろうと思う。
過ぎてからは優しさばかり思い出す。

ということがあった。
前回、noteを書いてから今日に至るまでの間に。

今現在の私は夏場特有の鼻血(毎年夏になると出る)に悩まされながら体調不良に悶えている。
元夫のことを思いしんみりしていた日々はもう一週間も前のこと。
時の流れは早く、文章を打つ間も与えずに全てが一瞬で過去になっていく。
上記の文章だって、その時思っていた気持ちの強さに比べたら残り滓のようなものだ。
自分でも制御しきれないままに感情は目まぐるしく変化していって、今は同居人の不機嫌について考えている(やらかした心当たりはありすぎるくらいあるよ)。

写真があってよかった。
ほんの一瞬でも記録しておけば、過ぎ去っていくものを捕まえておくことができる。
それがいいものだとしても、悪いものだとしても、持ち続けていればいつか糧になって、そうやって生きてきた、今まで。
これからも。

これからも生活が続いていくと思えることが嬉しい。
夏の終わらない間に。



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