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舞台に立ちたいと思わなくなったわたし

吐き出しnote。少々暗めの内容となりますが、呑み書き本祭中でTLの流れが速いと思うので、どさくさに紛れて出してしまいます。呑み書き参加作は、ひとつ前の投稿をご覧ください!

以前は舞台に立ちたかったのか、と問われると即答できないが。少なくとも今よりは、ドレスの通販サイトを見て「これを着てあの曲をやりたいなあ」などと妄想をふくらませたり、楽器禁止の賃貸で楽譜を眺めるだけとは言えいつでも演奏できるように整えていたり、そういう表舞台へのピースみたいなものが、散らばっていたのだ。

もとより、目立ちたがりではないし、実力・気力ともに「演奏者」には及ばない性質であることも自覚していた。それでも、音楽をやっている時間だけは、「引っ込み思案でネガティブなわたし」を忘れることができた。解放感に包まれる、束の間の幸せ。そういうものを求めて、演奏していたのかもしれない。

つまり、わたしの音楽に「届けたいもの」などなかった。自分のための演奏、自己満足の演奏には、メッセージ性がない。聞く人を惹きつけることができない。

そのことを知っていながらも、それが「やめる理由」にはならず、ただ「続ける理由が見つからないな、でもやめたくないな」と、ずるずる生きていた。

努力不足だと言われれば元も子もないけれど、体格のせいにもした。向いてないんだ、って。

さて、ここまでの下書きは、6月7日の作となっている。この先はリアルタイムで9/18に書きました。

落としどころがわからなくなり、また、このnoteで伝えたいことなどあるのかという、上に書いた「音楽にメッセージ性がない」の「文章版」がモヤモヤと引き起こされてしまったこともあり、すっかりお蔵入りしていた。

そのあと、3週間ほど経って、プライベートでへこむできごとがあり、そこからこの記事(の後半部分)につながるんだけど。

こちらは投稿日時こそ最近であるものの、7月には下書きができていた旨を本文中でも告白しています。

…そう、あのね、わかっているんです。文章も、音楽と同じで、「伝えたいことなどない」、「自分のために書いている」って。じゃあなんで文章は続けとるんや、って思われるでしょうけど、もう少しだけ言い訳させてください。

文章と音楽とでは、専門教育を受けたか/学んだかという点においても、違いがある。文章ならわたしは、まだ、「単なる趣味」だと開き直れるの。

それに、文章で伝えたいことが「全くないか」と言うとそうではなくて。まあこの記事単体にはないかもしれないけれど、おいしい紅茶やおやつのことを書いているとき、わたしには「このおいしさを知ってもらいたい」という気持ちがあります。だから書くのです。

そのことに気づいたとき、よりいっそう、悲しくなった。
じゃあなんで音楽では、「この楽しさを知って(聞いて)もらいたい」って思えないんだろう、と。音楽は、言葉がわからなくても理解できる、文章よりも気軽に遠くへ羽ばたいていける可能性のある手段なのに。それを操ることは、わたしには許されていないんだ。

そんな風にも思ったけれど、結局は努力が足りていないのだと思い知る。
だって、本当に音楽を愛している人は、このご時世でどれだけ演奏の機会が減ろうと、楽器や手法によっては(吹く楽器や歌唱など)演奏行為そのものが困難になろうと、ずっと音楽に向き合っているから。

そうやって自己嫌悪に押しつぶされそうになったとき、これを書いた。

誰にも肯定してもらえない自分を(実際に誰かしらによって否定されているわけでもないです)、自分で肯定したかっただけなんだと思う。
ここに書いたことは、嘘ではないけれど、たぶん、事実とも違う。何分の1、何十分の1の割合で、「それも一理ある」程度の話。
きっと、大半はやっぱり「努力不足」「才能不足」が占めるんだよね。

芸術家がよく言う、「わたしの作品を好きだと言ってくれる人がひとりでもいるなら、頑張れる」ってやつ、わたしには当てはまらなかった。自惚れるなと怒られそうですが、そうやって声をかけてくださるかた、わたしの周りにもいたんです。あなたの音楽が好き、って。
たいへんにありがたいこと。でも、当然ながら、わたしが演奏するたびに毎回、その人が聞いてくれるわけではなくて。むしろ、その人のいない客席に向かって奏でることの方が、回数からすると多い。すると、途端にわからなくなる。「わたしは誰に何を届ければいいのか」が。

あの、こう、ずーっと話が堂々巡りなの、もうバレてます?
自分でも書いていて恥ずかしくなるんだけれど、終わりがなくて、あまりにも終わりがないゆえに自分でも原因究明できていなかったような事象で、だからこそ最近になってようやく文章化しはじめたわけなんですが。
今はまだ、この書き方が限界。自分の価値観を、整理しきれずにいます。まとまったら、あるいはつらくなったら、また書くね。

七志野さんかく△
(ヘッダーは欧州某所。お花が綺麗だったので撮ったものだけれど、背後にはちゃっかり、好きな作曲家の胸像が。)

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