見出し画像

ひとり暮らしをして初めて気づく「買わないと、ないもの」

実家というところには、なんでもある。

もちろんいろんな家庭環境があり、賛否両論のある話題だとは承知しているが、少なくともわたしの実家はそうだ。特に、祖父母同居の三世代暮らしだったこともあり、古いものやら便利グッズやらが、家の中にわんさか置かれていた。

だから、ひとり暮らしをすることになったとき、「物のない暮らしになるんだろうな~(実家比)」と考えたのは、必然だ。
祖父しか使わない酒器(日本酒用のもの)はわたしには必要ないので持ち出さないし、祖母のように園芸の趣味もないから鉢や苗も連れて行かない。学生のひとり暮らしではないから、友人とわいわい遊ぶためのたこ焼き器や人生ゲームも必要ないし、恋人がいないから食器はひと組でいい。

わたし自身は実家で、決して物の少ない暮らしをしていたわけではないので、それなりに私物はあるのだけれど、想像するだけでもこんなにたくさん、実家にあるものがひとり暮らしには必要なかった。

でも、その想像とは違った側面に、ひとり暮らしになった途端に「なくて困るもの、ないと寂しいもの」があったのだ。

例えば輪ゴム。
何に使うということもないが、実家には必ずあって、
さして頻繁に使うものでもないが、時には必要で。
でも、箱で買うと多すぎるから、持っていなかった。

例えばみかん。
絵に描いたような「こたつにみかん」の風景が常態化していた実家だが、別にみかん農家ではないし、時にはご近所さんからいただくことがあっても、基本的にそのみかんは祖母が買っていた。
自分で買わなきゃ食べられないんだな、と気づいてスーパーの果物売り場を見るも、意外と値が張るので、頻繁には買えないのだ。

類似するが、おせんべいもそう。
チョコレートやクッキーのような洋菓子の類は、実家では母が買ってくることが多く、母の買い物にときどき同行していたわたしには「買うもの」としての認識があった。でも、みかんもおせんべいも、母は買わない。母の買わないものは、「買わなければ、ないもの」として捉えていなかったのだ。

なんて甘えたことだろう。
家にあるのは、祖母が買ってくれているからなのに。

好き勝手に食べても怒られなくて、食べるときにはもちろんおいしいと思っているものの、自分ではそれに執着しているつもりがないから、ひとり暮らしになった途端、みかんやおせんべいのことは忘れていた。しばらく経ってから、はたと気づいたのだ。「あれ?最近、みかんもおせんべいも食べてないよね?」と。

新生活シーズンなので、ひとり暮らしを始めた当初のことを、少し振り返ってみた。きっと、「買わないと、ないもの」エピソードはどんな人にもあるのだろうなと思うと、ほほえましい気持ちになる。

七志野さんかく△


※メディアパルさんの  #ひとり暮らしのエピソード タグがぴったりな内容なのですが、募集期間は過ぎていました。期間中に投稿された記事はマガジンにまとめられているようなので、気になる方はぜひどうぞ!
わたしもゆっくり読んでまわりたいなあ。

【3/28追記】メディアパルさんのご厚意で、当noteもマガジンに入れていただけることになりました!ありがとうございます。


お読みいただきありがとうございました。みなさまからのスキやフォロー、シェアなど、とても嬉しいです! いただいたサポートは、わたしもどなたかに贈って、循環させていきたいと思っています。