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ヒトはいつからマグロになったのか

幼いころ「マグロは前向きにしか泳げないんだよ」と聞いて、後退りはおろか止まることさえできないなんて、そんな不便な魚がいるのかと感心したものだ。しかし、近年、人間も前にしか進めなくなっているように思えてならない。

例えば、先日、歩いていてわたしと鉢合わせた男性。

わたしは大通りの歩道を直進していて、彼は大通りに面していない奥の敷地から、細ーい小道を歩いて出てきたところだった。道の関係性からして、わたしが優先的に歩けるはずのシチュエーションだ。
しかし、ぶつかる寸前で一瞬だけ顔を見合わせたのち、歩みを進めたのは、彼だった。歩道に合流するだけなら、大目に見て、まだ良しとしよう。あろうことか彼は、わたしの目の前を横切って、横断歩道を渡って行った。

なぜ、止まるという選択肢がないのだろう。止まらないにしても、わたしの後ろを通るのではだめなのか。

急いでいたのかもしれないが、走るような素振りはなかった。
そのときちょうど青だった信号を渡ってしまいたかったのかもしれないが、信号が赤になりそうな気配もなかった。
あるのはただ、会釈とも呼べぬほどわずかに顎を突き出して、わたしの前を通り過ぎる男性の姿だった。

そんな風にわたしを驚かせた上に立ち止まらせて、我先にと歩いてゆくのなら、いっそのこと、顎の動きなど見たくなかった。完全にわたしのことを空気のように無視してくれたなら、わたしは怒りを持てたのに。

へんに気を遣われたばっかりに、その場ではなんの感情も表に出すことができず、あとからこんな文章が生まれてしまった。

思えば、これだけではないのだ。
このときに限らず、日ごろから、横切られ、左後方から追い抜きざまに目の前で右折され(わたしは直進)、このように前にしか進めないヒトをたくさん見てきた。「前にしか進めない」どころか、彼らはわざわざ、「人の目の前を進んで」いく。

たしかに、進もうと思って進んでいる最中に一番とりやすいアクションは、進むことである。しかし、人間の脳みそを以ってすれば、進もうとしているときであっても状況に応じて止まったり避けたりできるはずだし、周囲がどう動いているかを客観視することもできるはずだ。

ちなみに、追い抜きざまに〜は、自転車のマグロが成せる技である。自転車に乗れるだなんて、曲芸師…ならぬ曲芸マグロとして、一儲けできるかもしれない。
まったく、いつのまにヒトはマグロになったんだ。わたしはまだ、ヒトのつもりだが。

また、マグロではなく、「サル化している」と主張する学者もいる。ずいぶん前に読んだ本だけれど、その名も『ケータイを持ったサル』。

ここで言うサルは、もちろん、ヒトのことである。携帯電話という便利な道具を手にしたヒトは、ヒトとして脳みそを駆使することを放棄し、サル時代への退化の道を歩んでいる、という。

副題には「人間らしさの崩壊」とあるではないか。今回、わたしが言いたかったのはまさにその部分かもしれない。

「マスクをするサル」という新刊も発売されているそうなので、ぜひ読みたい。

みなさま、交通事故にはお気をつけて。

七志野さんかく△

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