見出し画像

信じる、って本当に尊い営みかしら

 初対面の人を、まずは肯定的な目線で見られる人でありたい、と常々思っている。でも今のわたしには、それが大変むずかしい。

 他人を手放しに信じられる人って、世の中に一定数いる気がする。わたしの身近にももれなく1人2人いる。もしかしたら彼らは、それによってわたしより多くの損害を被っているのかもしれない。でも、その何倍も大きなしあわせを手に入れているように見えるのだ。隣の芝だからだろうか。

 「大きなしあわせ」の内訳。まず、人を信じる人は、その分他の人に信じ返される、気がする。当たり前のことなのかもしれないし、そんなワケないのかもしれないけれど。信用を得るということは、社会において何より価値のあることなのだと最近気づいたのでなおさら、これはとてもしあわせなんじゃないかと思う。
 あとはなにより、人を信じていた方が、世界がきれいに見える。視界には良い人が増える。実に暮らしやすい社会だろう。その分裏切られた時の反動はえげつないものだろうけれど。


 自分も含め、完璧な人間がいないからこそ、そんな人間を信じるという営みには必ず自分の意思が付き物なわけですね、たぶん。
 なんとなく無意識な選択よりも、少なからぬ思考を伴った選択で生活を進めていきたいと思います。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?