私の中学校時代
中学校は、地元の公立の普通の中学校へ進学した。
新しい制服、新しい環境。これからの自分に期待を胸にワクワクしていたのをよく覚えている。
でもそんな楽しみも入学してすぐに打ち砕けることなる…
私の地元の中学は2つの小学校が合わさって出来ている中学だったから、知らない人がクラスの半分を占めていた。当時はそこそこ人見知りだったから中々話かけられず、入学早々置いてけぼりをくらっていた。
そんななか部活動や様々な行事やテストなどを
こなしていき、心身ともに疲れていた。
でも一年生は2日ほどしか休んでいなかったように記憶している。
2年生は、仲の良い人が3人ほどしかいない状態でスタートして、初めの方から耳の不調、体の不調を感じながらもいい高校へ進学したいという想いのためだけにがむしゃらに頑張っていた。でもそんな頑張りも夏休み明けには崩れ落ちる…吐き気や元々持った偏頭痛で学校を休みがちになっていた。
2学期9月の運動会の後にはほとんど学校に行っていないと思う。たぶん休み休みいっていたんじゃないかな…
3学期は評定がつかないほどだった…
3年生は、春休み中に怪我をしたことによる影響で松葉杖での生活がスタートする。
クラスとも先生とも全く合わず、学校が嫌になり登校をしなくなる。
この頃も体調が悪く、頭痛や吐き気、まわりの視線が怖い、そとにでたくないなどの症状に悩まされていた。でも周りに理解してくれる人は多くはなかった…
担任は休むたびに学校に呼び出し、来るような説得を試みていた。
話し合いにはしばしば参加していたが、絶対に学校には行かなかった。
それが夏休み頃になると、三者面談が頻繁に開かれ、学校にくるよう言われた。
でもこの頃になると自分の進路を既に決めていた。それは通信制高校に進学するということだった。同じ不登校で仲のいい子が通信制高校に進学を一緒にしようという話になり、もう学校へ行くこともクラスに入ることも不可能だった。でも担任は全日制を進めていたし、私の考えには納得していない様子だった。
その後も不登校のまま通信制高校への進学を決めた。ただ、担任の勧めで夜に学校に行き、勉強を教えてもらったり、卒業制作のようなものをして卒業を迎えた。
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