ソロモン諸島に来て思うけどシンプルは過大評価されている

毎日暇だけど、外に出て自らを好奇の目に晒すのは嫌なのでやはり引きこもるのが最善策になっている。

こっちに来る前は、とりあえず仕事探しすっか~と思って日本領事館の人とかJICAの人とかにもなんとなーく「仕事あったらください」オーラを出していたんだけど、こっちで働く日本人というのは97%が日本から派遣されてきた駐在さんで、日本人を現地採用、というのはオプションとして存在すらしてないっぽかった。JICAの人には「運転手なら探してるけど…w」と言われたけど、それは完全にソロモン人男性枠であった。いや、そうでなかったとしても私には務まらんけどw

旦那の省のアメリカ人のおばちゃんには「お給料もらえる仕事は厳しい。でも、ボランティアならあるかもしれへんで」と言われたものの、そのボランティアだって母国でその人達が所属する組織から派遣される形で来てるんだよってことが最近分かってきた。

もっと頑張って探せば何かあるだろうけど、この町ではそれは知り合いを増やすと同義なので、一番私が無理なタイプの就活であった。まぁ今から見つかっても、半年も続けられんのだけど。

やらない言い訳はいくらでも思いつくぜ。

てなわけで仕事がない人はこうやってnoteをしたためたり、ビリーズブートキャンプをやったり(基礎編がいちばん面白い)、オンラインコースをかじってみたりで日々時間を潰している。

そんで気づいたんだけど、なんだかんだで自分に「タスク」を課してないと落ち着かんのよね。「あーこれをいついつまでにしないとなー」という、期限のある作業。

別に仕事じゃないんだから、やりたくなかったら止めてもいいんよ。でも、謎の義務感に駆り立てられてやってしまう。

これって先進国の呪いなんかな?

そういう風に思うのは、近所のおっさんの生活を見てから。

このおっさん、まぁ~~~日がな一日ベランダで誰かとお喋りしとんの。本当に一日中。

私には絶対に無理だなと。なぜなら人とそんなに話すことないし、一人の時間欲しいし、「タスク」がない自分にそのうち死にたくなるから。

でも、このおっさんは全くナチュラルに毎日をそうやって過ごしてのける。ほんと不思議なんよね。そんなに楽しいかそれ???????仕事行って社会に揉まれる方が普通に楽しくね????

旦那の職場の話を聞いとると、ソロモン人がいかに働かんかがよくネタになる。何かにつけて休む理由を作っては仕事に来んらしい。初めは「けしからんのう」という感想だったけど、最近はもっぱら、「そんなに休んで、代わりに何をするんじゃろう」ということのほうに感心がある。職場に来ることをそこまで拒む理由は何なんじゃろう。仕事ってそんな嫌?

そりゃストレスがついて回ることだけど、だからこそ色々なドラマが生まれるわけで、そっちのほうが一日しゃべくっとるより刺激的だと思うんだけどなぁ。と私は心から思うんですよね。ソロモン人をディスりたいのではなく、まじで「仕事せんかったら何するん?」って疑問。

とある2ちゃんねるのコピペを思い出した。長いです。

メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。 メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。 その魚はなんとも活きがいい。それを見たアメリカ人旅行者は、
「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」 と尋ねた。
漁師は 「そんなに長い時間じゃないよ」 と答えた。
旅行者が 「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」 と言うと、 漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。
「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」 と旅行者が聞くと、漁師は、
「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、 女房とシエスタして。 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、 歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」
すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、 きみにアドバイスしよう。いいかい、きみはもっと 漁をするべきだ。 それであまった魚は売る。 お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。 その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。 そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。 自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。 その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、 ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。 きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」
漁師は尋ねた。 「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」 「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」 「それからどうなるの」 「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」 と旅行者はにんまりと笑い、 「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」 「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、 日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中は釣りをしたり、 子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、 歌をうたって過ごすんだ。 どうだい。すばらしいだろう」

(複数の段落を引用にするのってどうやるん。)

競争社会のギラついた野心を皮肉りたいのかなって取れるんだけど、そもそもこの漁師の生活を「解放」や「自由」の象徴たらしめとるのは、「抑圧」や「不自由さ」の存在があるからこそなんよね。漁師にとってはごく普通の日常を、「こんな人生素敵でしょ」って思わせたいのが筆者の意図なのであれば、まさにそれは競争社会にどっぷり浸かった人間の目線そのものなわけで、すげー欺瞞的だし説教臭い。毎日魚釣って歌うたうだけって、先進国の人間が実際にやったらすぐ飽きっぞ。大きな悲しみはないが大きな喜びもない人生みたいな。ほんと無職になって痛感するけど、全く何もせんかった晩に飲む酒って大して美味しくないんよね。

というわけで私は、ご近所さんのライフスタイル(今もお喋りしてる)は犬や猫と変わらんのじゃないかというのがまとめです。寝て、起きて、食って、仲間と遊んで。確かに究極のシンプルなので憧れるのも分かる。でもこれ、最終形態は動物にならんかな。どこぞで読んだこんな禅問答もあるんよね。

「食わねば死ぬ。では、食えば死なぬか」

なんか、人間はその他の動物のように「食うこと」を最上の価値にしてはいけないと言われとるようでギクリとする。人間たるもの、知恵をつけなさい見聞を広めなさいという意味なのではないかと私は思っています。今無職になって、こんなおっさんも近所にいて思いきり「無」の状態を経験しとるけど、これを「無」と思うのは「有」があったからこそなんよね。

以上です。そうは言ってもお腹が空いたのでなんか食べます。

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