見出し画像

承認欲求との戦い


「雛子ちゃんは自分でも気づいていない潜在意識に自分をここにいる人だと認めてほしい。という承認欲求があります。」

と、霊視?スピリチュアルならなんと表すのかわからないけど人の心の内を感じとれる友人に助言していただいた。

というのもこの1年の自分大変革の道を進んだら現れた助っ人のような導き手のような存在の方。最初はただの友人だったのに、なぜかそういう流れになり、気づいたら指導してもらってる今。

そんな最中、道でナンパされたことがきっかけとなり、なんでこんな人が寄ってくるのか相談したところ、私の潜在意識を教えてくれた。

承認欲の潜在意識がエサとなって引き寄せてると。

痛かった。
痛いと感じるということはその通りなんだろう。
グキッ・・・(バレた)と。
でも同時にやっと"わかった"、と言うのも綺麗事。
"認めた"、認めた瞬間、涙が出た。

そうだったのね、認めて欲しかったのね。
今まで自分を押し殺してきたのね。
自分ごとだけど誰かに言ってあげるように言葉をかけることでやっと受け入れ態勢が整ってくる。

見覚えのある誰かは幼少期の自分。
潜在意識に取り残されてる幼少期の自分。

それまで全く気がついていなかった。
気がついていないふりだったかもしれない。
気がつきたくなかったかもしれない。
でも今は向き合おうと決めることができた。

幼少期の私というのは、母が家にほとんどいなかった。
仕事か彼氏と遊ぶかで家にいる姿を見るのは1、2時間ほど。世の中の母もたまにしか家にいないのだと思い込んでもいた。侘しさに我慢できず、出かける間際に意を決してお願いした。なんでか母はにっこり笑って「笑ってくれないと出ていけないよ」と。私の想像の範疇にはない返しすぎて自己が錯綜した。どうすればいいのか全く考えられなくなって、殴られたように見失った。笑わないと捨てられるのかもしれない。と思い込みが始まりとにかく必死で笑顔をこじりつけることを頑張ってしまった。

私の微笑みというのはどこか紛い物の醜い顔というコンプレックスと、私の考えは合っているのかわからない自信のなさと、嫌われたくないというプライドの高さ、わかってほしいという私の最大の闇、承認欲求。

でもどうやって克服していけばいいのかがわからない。

自己の錯綜から、他人の心根をいくつもいくつも分岐させるように考えるようになり、取り越し苦労というデメリットと探究心というメリットのようなものが混じり合って、自己の向上を燃料にしてここまで生きてきたような気もする。だからこそわからなかったのかもしれない。

ずっと闇が母との関係にあるのはしっかりわかっていた。4年ほど前まで母との思い出のなさを最大の秘密にしてひた隠しに生きてきた。闇を隠そう隠そうと必死で抱えていたのは単なる原因だったこと。

闇とは、結果の承認欲求だった。

ずっとずっと剥き出しだった。
全く隠しきれていなかった。なんともひどい(笑)


私の承認欲求というのはまだまだいたるところに潜んでる。言葉にしたところに在り、出したことでザワザワし、ザワザワを探れば見つかる。

ボロを出してるのは自分なんだなぁ。
嫌われるようにしてるのは自分なんだなぁ。
出して出して出しきったらなくなるものなのか。
それとも底なし沼で負のループなのか。

本当にわからないけど、
気づくことができていることと、
そんな自分をまず認めて理解することから頑張ってみようと思う。

このように語ることに欲が隠れてるんだろうけど、
こんな私でも関係を続けてくれている友人には感謝しかない、そしてこれを最後まで読んでくださった方もありがとう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?