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そうじゃない


「神の導きによって二人は出会いました」

あたたかな祝福につつまれた式場。
教会に柔らかく響く牧師の言葉に耳を澄ませる。
私の「教会で挙式する可能性」はゼロになった。


私は宗教の自由を尊重する。
だからこそ、牧師の言葉が受け入れられなかった。

私にとっての"現在"は、自身の小さな選択の積み重ねによるものであって、神を含む他者に導かれたものではない。人との出会いは気まぐれだと言うが、ひとつずつ巻き戻せば、その人に出会うまでに大小さまざまな選択のタイミングがあって、どちらにするかを選んできたのは当人である。

そういう思想で生きてきたのに、いきなり親族や友人たちの面前で「神の導きによって…」などと説明されてしまったら、「いやそれはちょっと違う」と訂正したくなる気がした。 

そもそも、キリスト教徒でもなんでもないのに、わざわざその時だけ教会で式を挙げる必要なんてないのだ。

冷めた見方をすれば、キリスト教徒ではない人々にとって、教会挙式は神聖な儀式ではない。"現代日本人の大多数が持つ結婚式のイメージ"をただ演ってるだけのことである。

牧師に「それでは皆さんでお祈りのポーズをしてください」と言われて合掌するような民族だからこうなってしまう。でも、別にそれでもいいと思う。その自由さがなくなってしまったら、戦争になっちゃうかもしれないし。


なんてことを考えながら、みんなと一緒に讃美歌を歌った。

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