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143. 文句しか言わない

 百均のサボテンが、夜中にひっそりと花を咲かせてくれた。キンセイマルという品種。上京した年の初夏あたりに買ったので、3年半ほど世話をしていたことになる。一番好きな季節の、心穏やかな休日の夜に一日で萎む真白い花を眺めることができて幸運だった。自分の手でどうにかできることの成果。何という心地良さ。

 ムーミンの原作コミックスを読んでいて、ムーミンの母親が「悲しい時には掃除をする」と言っていた場面を時々思い出す。めちゃくちゃ共感する。悲しい時、虚しい時には家事をする。掃除をして、簡単な煮炊きをする。少しの軽作業で「どうにかできる」ことがまだあると確認できる。具材を洗って切って、火にかける。それだけで温かくて柔らかいものが口に入る。本当にありがたい。

 自分だけの力でどうにかできることはあまりにも少ない。というよりも、誰にもどうにもできないことがあまりにも多すぎる。数十年単位で壊れた人間関係、病気、借金、災害、戦争。

 自分の持つカードで最良の結果を出していると信じて疑っていない。四半世紀生きて、後悔していることも取り戻したいことも一つもない。だから余計に気の遠くなるような思いがする。おそらく一番マシな選択を重ねてすらこの状況。文句しか出てこないのをどうにか飲み込んでいたら、うまく話せなくなった気がする。
 褒められれば嬉しい、認められれば感激する。それでも長期的に捻れてしまった脳みそのどこかを解きほぐすのが、私にとっては簡単ではなかった。いつどのタイミングで、誰に何をひっくり返されるのか分からない鈍い恐怖が、あらゆる動機を少しずつ削り取る。堅固な「意義」を積み上げられるほど賢明にはなれなかった。手近な達成感が凄まじいスピードで遠のいていくのが、やがて鋭い恐怖になった。

 寒くなれば室内に入れる。よく陽にあてる。土の表面が乾けば水をやる。子株が出てきたら摘み取る。そんな簡単なことの繰り返しで、こんなに美しいものを見せてもらえるとは思わなかった。全部がこんな風だったらいいのに。こんな風に簡単に考えて、地獄に落ちたりしないかな。真っ当な方法で気を紛らわせるのは案外難しいものである。一日で萎む白い幻。

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