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緑茶を飲むとほっとする話。

おはようございます。
本日も札幌は快晴。窓から射す日差しは温かく、心が救われます。

最近、朝起きてポットで緑茶をいれる習慣ができました。実家からの荷物に茶葉が入っていたからです。
こちらに来てから手軽に飲めるディーパックで済ませる事が多かったので、久しぶりにポットでいれた茶葉の香りが懐かしいキモチを掘り起こしてくれました^ ^

私の実家では父が毎日緑茶をいれてくれていました。朝と晩。
父は早起きで4時半起床、6時には出かけてしまうので、私が飲むお茶はいつも程よく冷えていました(笑)
クールダウンした緑茶は苦味が際立って学生の私には"大人の味"だったのを思い出します。

父はどんな事があっても家にいる限りは緑茶をいれて私を待ってくれました。
決して娘に甘々だった訳ではなく、むしろ不器用な愛情表現が多かった父。
それ故に思春期は何となく父の言動に腹が立ち、悪態をついて自室に立て篭もった事もありました。
そんな時も階下からの"おい、お茶はいったぞ〜"の一言で不思議とリビングに誘い出されてしまうのです(笑)

社会人になって"働く"事がどんなに大変か痛感し、同時に一家を支える父の偉大さも感じました。
思春期にはあんなに嫌だった父の言動が大人になるとこんなにも優しく心強いのだと、幼かった自分に教えてあげたくなりました。
気づけばクールダウンした苦味が旨味に変わった緑茶。私は少し"大人"になったのです。



札幌に来て飲まなくなった緑茶を久しぶりにいれた日。一口めは"ああ、美味しい"と思った。
二口めを飲んだ時、"あれ?でもなんか違うな"と気が付いた。

私がいれた緑茶は緑茶だけど、浅い味。
父がいれた緑茶のような深い味が出ない。
茶葉は実家から送られてきたから父と同じモノ。

私は父の緑茶を毎日飲んでいたけど、それは当たり前の事でした。でも、その一杯に込められた沢山の優しさ、愛情、励まし、様々なキモチがあの緑茶を美味しくしていたのかもしれない、と自分でいれた未完成な緑茶を飲みながら思いました。

そしてあれが父の"家族の時間"だったんだと思うと、今度は私が自分の家族の時間を作っていくのもいいなと思います。

最後までお付き合い頂き、
ありがとうございました(*´꒳`*)

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