研究どころではない

長崎に帰ってきて、最初のお仕事は、種まき。

あーーー、楽しい。
幸せ。

都会はあまりにも病んだ氣が溢れすぎていて
回復ポイントが無いイメージ。

日々、目まぐるしく
次世代にイノチをつなぐその本質を、動きながら追究する。

ごめんなさい、研究をする時間がありません。

牛による土壌改良。その科学エビデンス。
それは、資金を集めるためにも重要だと、言う。

でも、それ以上に現場は人が足りてなさすぎて、研究どころではない。

毎日生きるのに必死だ。

正直、研究というのは、時間やお金に余裕のある人がやるものだと思う。

博士号まで行って、月収は普通の大卒の半分だから、私なんて、高学歴プアーの極みだ。

残念😢
手が回りません。。

一昨日紹介した、「次世代への伝言」の中で、生態学者の宮脇先生は言う。


一見つまらん雑草生態学というものから始めて、以来今日までこうして植物をテーマにして生きてきましたが、その間にいろいろ言われました。
宮脇さん、木を植えることよりも、その結果どれだけ二酸化炭素が吸収されたのかを計算したり、そのための実験もいろいろやりなさいと。それが新しい学問になるのに、というわけです。でも、それは他のできる人がやればいい、俺は木を植える、と腹をくくっているのです。それを深めていって、とことんまで頑にやってきたから、誰も追従できないのであって、もしほかのことまでやっていたらここまでには至れなかったでしょう。

正直、毎日現場に出ていたら、研究より大事なことがあると思う。

それくらい、地球環境は死にかけている。

研究している間に、地球は死んでしまう。
もう、そこまで来ている気がする。

何にせよ、専門の人が研究するなら大歓迎だ。
素人の私が一から勉強して研究するには、現場はあまりにも人が足りなすぎる。

地球の再生最前線は、死に物狂いだ。

それにしても、最前線に立つ人の少ないこと、、、


日本人、大丈夫?!

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