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2020年のこと。

今たしかに私は生きていて、今が楽しいから何事もなかったかのように新しい年を迎えることもできるんだけど、あれから後に私の文章を読んでくださるようになった方もいらっしゃいますし、これを残すことが自分に対しても周りに対しても誠実だと思って、書きます。


7月に精神を病みました。大変でした。早く楽になりたくて、自分の人生にピリオドを打つ以外の策を思いつきませんでした。無職で、緊急事態宣言で思うように外にも出られず、ベッドの中でどうやって死ぬかばかり考えていました。


自分で自分の感情をコントロールできないことが一番辛かったです。買い物中に何もきっかけはないのにフラッシュバックが起こり(普段は引き金となることがなければ起こりません)その場でうずくまってしまったり、家で悲鳴のような泣き声をあげてしまったり、その状況に私自身が驚いてそのまま倒れてしまったり、何も食べられず、浅い眠りの中でずっと好きだった人の夢を繰り返し再生していました。元来、悲しいかな体も心も丈夫すぎる私だったのに、極限でした。


何があったかは過去のnoteを見ていただければ幸いです。省いているのではなく、実のところ、私はこの当時の記憶があまりありません。


私には幼い頃からのトラウマがいくつかあります。しかし、「そういうことがあった」という事実しか頭の中に残っておらず、その場面は今思い出そうとしてもその前後のことを、断片的にしか思い出せません。生命の危機を自動で感知して頭の中の※閲覧注意※と書いてある引き出しの中にしまい込み、簡単には開かないように頑丈に封をしたんだと思います。この夏の一連の出来事は私がもともと抱えていたトラウマと同じように、思い出さない方が良い記憶に位置付けられたのでしょう。


なので今、私には「死にかけた」ということと「助けられた」ということしか残っていません。これが結構良くて、なぜならこの事実は日々の中でたびたび私の救いになり続けているからです。


娯楽、発信、情報収集、友達作り。目的や用途は人それぞれかと思いますが、SNSは楽しくやるものです。有難いことに見てくださる人も多い中で私はひたすら鬱々としたツイートを繰り返し、本当に申し訳なかったと思っています。それぞれ仕事や流行り病による生活の変化など、様々なストレスがあったはずなのに、残酷なエピソードを事こまやかに書き綴り、もう無理だという言葉を雨のように降らしていました。見た人の気持ちまで滅入らせていたこと、申し訳ないです。


このように人が離れていってしまっても不思議ではない状態だったのにも関わらず、なんてお礼を言えばいいか分からないままなのですが、たくさんの方からリプライやDMをいただきました。その全員に生きた方がいいよって言われました。それぞれが色々なご経験を私にお話ししてくださいました。その方たちにとっても気軽に思い出せるわけではないものを、私に伝えるために引き出しを開けてくださったのかと思うと、言い尽くせないほどの感謝の気持ちでいっぱいになりました。


助けてくださった方は数えきれません。直接言葉を交わしたわけではなくても、私のツイートにいいねしてくださるだけで「今見ている景色以外にも、私の知らない世界は広がっていて、会ったことのない人や行ったことのない場所がたくさんあるんだ」と実感することが出来ました。正直、どうして、と心の中で思っていました。どうしてここまでしてくれるんだろう、と。


辛かったこと、というとこれまでの人生の大半になるので特に辛かったことは、シャレにならないことになっていた可能性が高いので結果論ですが、その時は本当に辛かったけれど私のこれからの土台になったと思います。


家を出る日、体力的にも限界を迎えていたので夜行バスに乗ることは難しいと判断し、大切にしていたものを売りに出して現金に換え、新幹線を予約していました。


始発の電車に乗るつもりでした。私だけが逃げてごめん、と思った途端止まらなくなって、二匹の犬をいつまでも撫でていました。いよいよ家を出る時、母が玄関まで来ました。私はこの頃にはもう、母と目を合わせるどころか、近くにいることにも耐えられなくなっていました。


その時点でもまだ私は自分のことを責めていました。悪いのはすべて私で、我慢できなかったことも、強くいられなかったことも、忘れられないことも、怯えてしまうことも、すべて私が悪くて、地獄だと分かっていてもこの場所で痛みと呪いを噛み締めながらギリギリまで決断の猶予を先延ばしにする努力だけをするべきなのではないかと、幾千回と考えていたことをまだ払拭できずにいました。


それでもどうしても生きてみたい。安心して眠れる夜がどんなものなのか知りたい。その一心で、これ以上いらぬことを考えないように、じゃあねと言いました。


本当に行くの、と言った悲しい声と共に、母が私のうでを掴んだ瞬間、フラッシュバックが起こりました。体が反応して全身が震え、反射的に家を飛び出した3時間後、私はこれから生まれ変わったつもりでゼロから生活していくまだ何もない家の床に座り込んでいました。


それからもうすぐで半年が経とうとしています。元気になりました。毎日楽しくて仕方がないです。夢中で生きています。まだ何も返せていませんが、返すために自分のできることを常に真ん中に置いて生きていくんだと思います。


これを書いた理由は、誰かの希望になれば、なんておこがましくて言いません。不幸自慢でもありません(これを読んで不幸自慢と言うような人は私の周りにはいないと分かっていますが)。ただ、本当にただ「残しておこう」と思ったから書いた。それだけです。


とてつもなく苦しくて、終わりの見えなかった27年間。「死」について何度も考え、「生きる」という選択肢で道を照らしてくれた人たちに、これからも続いていく日々の中で健やかに、これ以上ないほどの幸福の瞬間が次々に起こることを祈りながら、とにかく今日を生きて、いつか「これで良かった」と思える景色が待っていてくれると信じています。


読んでくれてありがとうございました。







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