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❏もういちど読みたい記事

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もういちどと言わずなんどでも読みたい。
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2020年9月の記事一覧

写真展出展のドキドキは、まるで恋をしているようだ?! ~後編~

「この時この瞬間に恋をする!」 フォトグラファーのYui Mitukiです。 前回は、写真展出展までのお話でしたが、今回は、展示会場でお会いした方達のエピソードです。 写真を撮ることも好きですが、展示会場では、色々な方のドラマを感じるのも、また、楽しみの1つです。 もし、よろしければ、前回の記事もこちらでご覧ください。 https://note.com/yuimituki/n/ne5b9590e3c62 作品設営時の楽しみ 写真展は、作品を参加者の方と飾るのも楽しみの1

noteを書いて「ありがとう」の言葉が増えた

noteを書いて、ぼくは、最後に「ありがとう」を添える。 それは、じかんは、有限で、ひとそれぞれにあって、使い道が違う。 そんな中で、ぼくの文章を読んでくれて、本当にありがたい、と思う気持ちから「ありがとう」を添えている。 コメントをいただくときも、そう。 「ありがとう」の気持ちを伝える。 むしろ、伝えたい、言いたい。 ここまで、書いていて、日常生活でも、この「ありがとう」の言葉が、増えたような気がするのだ。 何気ないことにも、自然と「ありがとう」と言える。

表現の本質

久しぶりにnoteを開いて、流れてくる他人の文章を読んでいて、ハタと気づきました。 「全然読めない」(笑) 面白くなさ過ぎて、5行と読めない感じです。 もちろん全部ではありません。面白い記事もたくさんあります。 しかし同じくらいの多くの記事が、面白くなさ過ぎて全然読み進めることができませんでした。 「あれ、これって自分の記事にもいえること?」 自分の記事も、他人からしたら面白くなさ過ぎて、全然読めないのかもしれない。 その可能性に、今初めて気づきました。(笑)

”アート”の定義について

こんばんは。 昨日は、渋谷モディで行われている落合陽一さんの個展「未知への追憶」を見てきました。 落合陽一さんのことを知ったのは2年ほど前で、YouTubeにあがっていた「News Picks」の番組の1つ「WEEKLY OCHIAI」のシーズン1を見たときです。 次から次へと急所を突くような発言をしており、9割近くは何を言っているのか分からないけど説得力は凄まじく、なんとなく納得してしまうところに魅力を感じました。 それから「News Picks」の会員登録をし「W

夕闇に沈むモレの橋

「この絵の場所を知りませんか」 フォンテーヌ・アヴォンの閑散とした駅舎で、ぼくは息を切らしながら駅員に尋ねた。正確には、ガラケーに保存していたその絵の画像を差し出した。充電はもう残りわずかしかない。 聞き取れないはずのフランス語でも「知っている」と言っているのがわかった。彼は線路の下り方面を指さして、2つ先の駅で降りろとだけ教えてくれた。橋の詳しい場所までは知らないようだった。 晩秋のパリ郊外。時計の針は午後4時半を回っている。日が暮れるまであと30分もないであろうこと

現代アートと最近のガンダム

現代アートはこじらせていると思う。カメラ機の出現により、美しいものを正確に描く写実主義から感覚に委ねて描く印象派へと移っていった。ここまではまだ視覚的な被写体に依拠した芸術であったが、抽象絵画あたりから様相が変わってくる。音を絵にしてみた、感情を絵にしてみた、といった類の絵が現れ始め、描写対象が必ずしも視覚的なものではなくなっていく。 それ以降、芸術の世界に衝撃を与えたのが、デュシャンが展示したトイレの便器だ。そこには、「芸術とは何か」「芸術は作品であるのではなく鑑賞者が決

スポレートのフィリッポ・リッピ

イタリア中部、ウンブリア州にスポレートという町がある。 アッシジの語学学校に通っていた時、同じペルージャ県にあるその町に日帰りで出かけていった。 日本に住んでいると、気軽に電車に乗ってほいほい出かけていくのが好きだけど、イタリアでは電車(というか列車)に乗って、自分の住んでいる町から出かけていくのはちょっとした小さな旅行のような気分だった。(日本でも、地方だとそうなのかもしれませんね。) スポレートはローマからだと列車で1時間半くらいらしい。日本人はあまり訪れることは少な