この世で、何が起ころうとも。

この世界は、ない。

ほほぅ、、、。

で???

「だから、大丈夫だよー!!!」

「だから、安心してー!!!」

って、言われたとしたら、、、

「安心していて大丈夫なのね!」と思って

その後、平安に暮らしていきましたとさ、、、

となりますか?

そこには、否認と抑圧の香りが、プンプンしてきませんか?

この幻想の世界において

じゃあ、どうしたらいいの?

「社会人として、普通に

理性的に

人に親切に

最も善き事だと思うことを

行動に移して

生活してください」

となります。

面白くないでしょ???(笑)

そうしながら

二元性の世界にどっぷりと染まっている私達にとって

罪悪感や、恐れ、怒り、悲しみなどが沸き起こり

理性的に慣れないような場面において

「赦し」(『奇跡講座』の赦しは、聖書の赦しとは全く別のものです)が、とても有益です。

どうやって赦していくのか?

簡単ではないですが

本当に難しいことですが、

その実践が出来るだけスムーズに進むように

私のような

悟りたい

真実が知りたい

真の幸せがあるのなら、体験したい

という

真の探究をする皆さんと

ノンデュアリティ難民の皆さんと(じゃなかったら、ごめんなさい(笑))

一緒に

『奇跡講座』の形而上学を

学んで行きながら

この世界の夢から目醒めることを目的に

霊を活性化していき

(霊であると言う信念を活性化していき

肉体であるという信念を無力化する)

罪悪感の訂正をしていくことで

私達は、心であるということ を思い出し

心の力を自由自在に使えるようになり

真に目醒めていけたら、、、と

(眠りこけている(笑)個人の私は)願っています。

[目醒めたい]

[神のところに還りたい]

[一切(全て)を欲しい]

[全てを知り尽くしたい]

それも、もちろん、全て、全部、まるっと

自我です。

自分は、超絶エゴイストであり

超強欲で

大エゴだー!!!

という自覚症状あり、という

霊性の道への探究心が芽生えた

ある種の成熟とは

言えるかもしれません(笑)

I want なんちゃらって考えている時

全て、

本当に、全てが

自我です。

あなたが自我ならば

間違いなく

相手も自我です。

たったひとつの心である(いちなる心が)

集合意識としての無意識にアプローチしていく。

だから、悟るのは、私個人ではないです。

いちなる心が悟る。

悟りそのものが 悟る。

私達は、分離していなかった。

一度も離れたことなどなかった。

それに、ただ、気づいている。

愛を阻んでいた障壁が取り除かれた瞬間

「聖なる瞬間」

かつて、分離の夢の中で

特別な憎悪と特別な愛(恐れに基づいた代替の愛の偽物)のあったところに

真実の愛の臨在が心眼でみえる。

真実の愛は

証明することができない。

だって、そうなんだもん。

それなんだもん。の世界。

個人の私は何も知らない。

個人の私は何もわかっちゃいない。

肉体の目で、見たいように見ちゃっている。

裁いて、咎めている。

そして、価値判断をして

一喜一憂している。

この深刻な人生のドラマ、まだ、続ける?

それとも、、、

ここからは、人生の目的を変えて

深刻にならずに

でも、真剣に、

別の道を歩いていく?

どちらを選ぶか、それも、私達の自由です。

ちなみに『奇跡講座』が

詩的な書き方であるのも、意図的です。

どこを読んでも、3行の教義と同じ内容を違うアプローチで書いてあることに、気づきます。

ただ、『奇跡講座』をもたらした、その源は

この世界のものではないことに

ハッと 気づく 、、、。

ポエムを読むように

歌詞のない音楽を聴くように

心で、、、

感じながら読んでみてください。

全部、嘘。

嘘を信じないでください。

全部、偽り。

偽りのもので満足しないでください。

全部、無である。

無であるものを、実在化させないでください。

あなたは、一度たりとも

神の元を離れたことは無い。

傷ついたことなど、一度も、ない。

あなたは、一なる心。

あなたは、一なる愛の臨在。

愛するや、愛されるという動詞でない。

頑張っていうなら、愛で在るというBe動詞。

(この世界に

物理的に存在(実在)するわけではないので

擬人化であり、

比喩であることを忘れないようにしよう)

神、在り。

God is.


【おまけの前提知識】

言葉は、象徴の象徴。『奇跡講座』の中で使われている単語を使っての言葉遊びや、自分の都合の良いように解釈したりすることや、言葉尻をとって、重箱の隅をつつくような評論は、時間の無駄遣いなので(『奇跡講座』を使った無益な旅真っ只中になります。私は、実際、そんなことをずっとやってました(笑))出来る限り、辞めましょう。(私も含めて、ついつい、やっちゃうのは、しょうがないですが、だからこそ、FACIMやJACIMの教材を使って、真髄を知りたい、実践できるように理解したいという飽くことなき好奇心と探究心をもって、ライフワークの一生物の学びと覚悟してコツコツと勉強するのが、私の経験からのお勧めです。また、然るべき先達から導いてもらうことを、同じく、経験から、お勧めします)

真に心で読むならば、無意識下に抑圧していた罪、恐れ、罪悪感が否認できなくなるように、表面化され抵抗が自覚出来てくるように、敢えて書かれています。


赦しの実践において

ただ、ただ、【原因についてのコース】

なので、

人に説明したり、

理論展開を話す必要もないものです。

「神の教師」とは、

「Miracle Worker」とは、

実践する人の事です。

『奇跡講座』を人生の全てにしない。

内容においては、人生の全てにしても

形態においては、全ての人々が

その理論を言葉でうまく説明できる必要は

全くないですし

そのようなことは求められていません。

もちろん、真に理解するならば、

誰かに求められたなら

その内容を

相手に合わせた言葉を使って

うまく説明できるようにもなるでしょう。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?