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記念日(pixiv_2015年12月23日投稿)

珍しく恋人に呼ばれて、デートをしようと言われた。
「…何、珍しい」
思わず浮かれてにやつきそうになる顔を必死に抑えこんでそれだけ言葉に出来た。
『あー…、いっつもお前に世話になってるからさぁ…』
嬉しさ一杯の中、心のどこかで奇特なことを言うなと思った。

働かない。
ギャンブル好き。
女好き。
浮気者。
借金まみれ。
俗に言うクズ。
それでも『恋人』という位置付けなのは、優しくて俺を必要としてくれるから。
わかってる。
都合のいいように扱われてるのもわかってる。
今月金がないと家に転がり込んで来ることもしばしばあるし、その際数枚財布から持って行かれていることにも気付いているし、ちょっと家事やった見返りには足腰立たなくなる程のセックスを要求される。
何でもない日にプレゼントと言って欲しかった物を買って来てくれたり、絶妙なタイミングで甘えさせてくれるその飴と鞭に気付けば懐柔されて離れられなくなっていった。
何年もそういう関係で、もう何年も貢いで来た。
期待なんかもうない。
でも他の人達が彼から去っていく中俺だけが残って、いつかは俺だけを見てくれるんじゃないかと微かな望みもある。
初めて体を繋げてからもうすぐ7年。
指定された日は、俺にとってそういう特別な日だった。

約束を取り付けてからずっと浮足立って毎日を過ごした。
普段じゃ絶対行けないようなホテルを取ったと言うメールに更に拍車がかかる。
仕事も頑張って、服も久し振りに新しく買って、体にも少し磨きをかける。
毎日が楽しくなって、無意識にカレンダーを眺めてにやけそうになる顔を抑えようと必死になった。
「辰海さん、何かキラキラ? つやつや? してるね」
と、目聡い同僚の女子何人かにそう指摘されて「別に何もないよ」と答えて数日。
残業もなく、いつもよりおしゃれした服をショウウィンドーに映る度に服を整えながら歩き、鞄を掴んで走り出しそうになるのを堪えて会社を後にした。
期せず週末。
デート中の恋人同士を今日は羨ましく感じなくて済むんだと、心臓がうるさい中、思わず走り出した。

指定された部屋へ向かう。
みるみる上昇していくエレベーターの中、心臓は未だにうるさいままで、辿り着いた扉の前で深呼吸を繰り返した。
こんなの初めてだ、とどうしても顔がにやける。
高級感溢れるそのホテルは本当に夢みたいで、一度拳を握ってからもう一つ息を吐き、チャイムを押した。
すぐに扉が開き、見慣れた顔が出て来る。
と、思ったが知らない人が出て来て驚いた。
「…あ、」
部屋を間違えた、と思って謝ろうとすると「タツミ、ユキヤさん?」と俺の名前を呼ばれて反射的に頷いて返事を返す。
年の頃は40から50の間くらいだろうか。
黒いスーツで、メガネを掛けていて、しゃんとした、少し威圧感を感じるようなそんな人だった。
「どうぞ」
「…え?」
扉を押さえているその姿を思わず警戒しながら中を窺うと、無言で入れと促される。
恐怖の入り混じる中部屋へゆっくり入ると、目の前には遮るものが何もない真っ暗な空と、遠くにはキラキラとした夜景が広がっていて少し眩しい。
部屋を見回してみるがその男以外誰もおらず、鞄を握りしめて男を警戒するように窓側に寄った。
「じゃ、シャワー浴びて来て」
低く通る声が部屋に響いて、言葉の意味を理解出来ずにゆっくりと振り返る。
「は? …え? あの…」
「何」
「…あの、俺…」
逃げるべきだと警報を鳴らす俺の本能を抑えて、出来るだけ冷静に対応しようとするが声が震える。
一度だけ唾を飲み込んで、持っていた鞄を胸辺りまで持ち上げて無意識に壁を作った。
「もしかして聞いてない?」
「…?」
「佐々木永二に言われてここ来たんでしょ?」
知っている名前が出て、息を吐く。
目の前の顔は僅かに目が細められたのが見えた。
「…はい、」
「君、あの男に売られたんだよ」
無表情な目がじっと俺を見る。
言葉を理解するのに少し時間がかかり、指の先が一気に冷えるのがわかった。
息が上手く出来ず、視線が落ちる。
ポケットから携帯を取り出した手も震える。
アドレスを開いて、永二を呼び出そうとするが、それすら震えて上手く押せない。
ようやく通話ボタンを押して耳に当てると『お客様の都合で電話をお繋ぎすることが出来ません』というアナウンスが繰り返される。
「携帯繋がんないでしょ」
「…」
耳鳴りのように聞き慣れない音が耳の中で響く。
吐き気が込み上げそうになって、思わず口を覆った。

気付くと俺は窓辺に座り込んでいて、携帯をただひたすら鳴らし続けても出てくれる気配はない。
視線を上げると男もどこかに電話を掛けるのか、スマホを弄っているのが見えた。
呼び出し音が部屋中に響く。
電話をスピーカーのまま鳴らし続けているのだと、そう理解するにも時間がかかった。
「こんばんは」
『…っ、こ、こんばんは』
聞き慣れた声に思わず声を発しそうになるが、しー、と黙るように示されて言葉を飲み込んだ。
男はソファーに寛ぐように座って、足を組みながら眼鏡を指で持ち上げる。
「返せる見込みついた?」
『…、ま…まだです』
ふーん、と淡々とした声が響く。
電話の向こうは外で話しているのか、少し喧騒が聞こえる。
「君の恋人もまだ着かないんだけど。もしかして俺馬鹿にされてる?」
『ち、違う、違います!! あいつ、時間通りに着くって、メール…』
「でも来ないんだよね。気付かれたんじゃないの? 君がこんな高級なホテル取れるわけないから」
『…』
「どうする?」
男がこちらを見た。
冷たく見えるその目に竦み上がりそうになって、反射的に目を逸らした。
「どうして欲しい?」
低く響く声に電話の向こうでは「あぁ、」とも「うぅ、」とも言えない不思議な声がして、何とか弁解しようとしているのがわかる。
『…あいつ…探して来ます。それから…金、借りて…』
「で?」
『…あいつ見付かったら、借金、帳消しっていうのは、まだ、有効、ですよね』
「体、売らせるんでしょ」
『はい、』
その言葉に、ただただ絶望した。
眼の前が真っ白になって体中の力が抜けた。
再びずるずると窓を伝って床に座り込むと、もう顔を上げることも出来なくなる。
「了承得てんの?」
『俺が頼めば、多分…』
「多分?」
『言い含めます! 俺の為って言えば、あいつ、言う事聞くから』
「聞かなかったら?」
『…聞かせます』
ホント、クズ、と笑いたかったけれどその筋肉すらまともに動いてくれなかった。

「…て、わけだから」
スマホを片手に目の前まで歩み寄って来たのが見えた。
綺麗な靴。
仕立ての良いスーツ。
人生でこんなの見たことない、と思いながら、ゆっくりとその顔を見上げる。
「…しゃっきん…」
「ん?」
「いくら…なんですか、」
「ざっと5000万かな」
「…は…?」
「細かく言うと4923万3001円」
初めて聞くその金額に、どのぐらいのものかもさっぱりわからない。
俺の給料の何年分なのかなとぼんやり考えて、計算が出来ずに思考を止めた。
「男でも体は売れるから」
「…臓器って意味じゃないですよね」
「切り売りはしないから安心して」
「…」
「一晩の相手の方」
「…需要あんですか、こんな…」
「あるよ。どの世界にも物好きは居るから」
そう言いながら目の前に屈まれる。
怖くて目が合わせられず、そのまま俯いた。
「男の恋人居るんだから、処女じゃないでしょ」
そう言いながら顎を指でなぞられて顔を上げさせられた。
初めて直接見るその目は恐怖で、すぐに目を逸らしてしまう。
「それもまぁ、ウリになるけどね」
淡々としたその声はさして興味があるようには聞こえない。
それも恐怖に感じた。
「俺が…する義理は、ないですよね」
そう問い掛けると、一瞬不思議そうな顔をして頷くのが見えた。
「まぁね。連帯保証人でもなんでもないしね」
「…」
「でも彼が頼って来たら、どうするの」
「…」
「見捨てられる?」
見捨てる、か。
それもいい機会なのかもしれない。
彼から離れて行った人達は、もしかしたらこういうことに巻き込まれて離れて行かざるを得なかったのかと、そんな怖いことも考える。
――見捨てる、
俺が?
あいつを?
今更?
考えたことがないわけじゃない。
それでも、見捨てずに今まで一緒に居たのは…。
「…俺が、」
「ん?」
「今から、一晩だけ、あなたと寝たら、いくらになりますか?」
そう問い掛けると、不思議そうな顔をして微かに眉が上がったのが見えた。

そういえばコートも脱いでいないと気付いたが、なぜか寒くて脱げなかった。
暖房も入っているのに、寒くて襟を手繰り寄せる。
そのままベッドの端に座って、遠くの夜景をぼんやり眺めていると、ボコボコの顔で永二が投げ捨てられるように部屋に入って来たのが見えた。
そのまま男の足元で土下座をするように蹲る。
駆け寄ろうとする体を突き飛ばすように押すと、男は扉を閉めて俺は寝室へと押しやられた。
扉越しに声が聞こえ、目を閉じて二人の会話に集中する。
「…あいつは、」
「隣で寝てる」
「あ!…じゃあ、しゃっきん…」
「体は売らないって。今日は君に義理立てて俺と寝たみたい。借金10万減らしておいたから、残り4913万3001円ね」
「…」
「人が返した借金は何の教訓にもならないから自分で返せって。ちゃんとした子だね」
「…」
「じゃあ、ビジネスの話しようか」
それから暫く静かな声が聞こえたが話の内容はさっぱり聞こえず、思考の止まった頭では何も理解出来ずに時間だけが過ぎた。
目を閉じてあの初めての夜を思い出す。
あの日、自分の色々な覚悟を簡単に取り払って、存外優しく自分を愛してくれたあの男に俺は売られたのだと、そう頭が理解する。
期待なんかもうない。
そう思っていたけれど、いつかはあいつもまともになって、互いが互いを必要と出来るような関係になっていけるのだと、どこかで信じていた。
もう、涙も出やしない。

「何であんなのとつるんでたわけ」
扉を開いて、男が入って来る。
思わず逃げるように部屋の中へと移動したが、男は追って来ることもなく扉に凭れ掛かって俺をじっと見ていた。
「優しかった?」
「…」
「『こんな俺』を、彼だけは愛してくれた?」
答えられずに居ると、「愚かだね」と淡々とした声が響く。
直接的過ぎるその言葉が、少しずつ俺を抉るのがわかる。
「…わかってます」
「君の世界は狭すぎる」
わかりきっていることを直接突き付けられることに、嫌悪感と情けなさが込み上げて来る。
「周りを見ればあれ以外にも君を愛してくれる人は居ただろうに君は目を閉じて楽な方に行ったんだよ」
「…」
「愛されたいなら、傷付くことも臆さない方がいい。出来ないなら、何にも期待するな」
その言葉と共に、部屋に入って来るのが見え、思わず警戒するように体が竦んだ。
胸元から何かを取り出したのに気付き、差し出されるそれを見た。
それは半透明の、綺麗な青いグラデーションのかかったシンプルな名刺で、思わず魅入る。
「これ俺の連絡先。『愛されたい』なら、連絡しておいで」
それだけ言うと身を翻して部屋から出て行こうとするのが見えた。
「…あの、」
「ん?」
受け取った名刺に視線を落とす。
呼び止めたものの頭は真っ白で、言いたかった言葉が消えて何もわからなくなる。
そのまま呆れて行ってしまうのかと思いきやそのままそこに居てくれて、俺の言葉を待っているその姿に意外だなと思った。
「…力で…力尽くで、されるんだと…俺、思ってて…」
先程の目を思い出してまた竦み上がりそうになる。
落ち着かせる為に息を吐いてみるが上手くいかず、その息も震えた。
「でも、しないんですね…」
「意外?」
微かに笑うような声だったように聞こえ、思わず視線を上げると真っ直ぐ視線がぶつかる。
「俺暴力好きじゃなくて」
「…」
「あいつから連絡あっても、もう応じちゃ駄目だよ」
はいとも、いいえとも答えられずただ俯いた。
溜息をつかれたのが聞こえたが、俺は何も返せない。
「この部屋明後日まで押さえてあるから、泊まりたかったら泊まってっていいよ。ルームサービスも頼みたかったら好きなだけどうぞ」
「…?」
「クリスマスって、今日だっけ、明日だっけ、明後日だっけ、」
興味なさそうにそれだけ言うと、男は部屋から出て行った音がした。
「…クリスマスは明日ですよ、」
そう誰ともなしに呟いてみると、少し笑えた。
それから少し涙が出て、遠くの夜景を見て、目を閉じた。

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