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好きな人が出来ました3(pixiv_2016年1月30日)

しくじった、ともう何百回と心の中で呟く。
じくじくと疼く左の脇腹が痛い。
先程までは普通に歩けていた筈なのに、もう足を引き摺らないと体を前に動かすことも出来ない。
立ち止まるとふらついて、壁に凭れ掛かる。
腰に添えていた手を恐る恐る開いて見下ろしてみると、手が真赤に染められている。
見なければよかったなと息を吐いて、落ち着かせる為にまた深く息を吐くと壁から体を引き剥がすようにゆっくりと体重を反対側に掛ける。
吐く息は真っ白で、誰も居ない道に自分の荒い息遣いだけが聞こえる。
しばらく歩いて、また止まって、携帯が震えているのに気付いてまた壁に凭れる。
画面には大神の名前が表示されていて、呼吸を整えてから通話のボタンを押した。
『さっきの、確保しましたんで』
「――、おう、」
ほっと一息吐いて、目を閉じる。
そのまま聞こえて来る声もなく、沈黙が落ちた。
『…こいつ、血の付いたナイフ持ってましたけど、…加瀬さん、』
「お疲れー。しっかり休めよー、」
『加瀬さ、』
追求されないように通話終了した。
うん、刺されたよ、と言ってもよかった。
別に羞恥心や虚栄心ではなく、何となくここで足を止めるのが嫌だと思った。
「――…、」
霞んで来た視界にきつく目を閉じてまた開く。
体が冷えて来て指先が痛い。
――…。
縁もゆかりもない自分に、馬鹿みたいに甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるあの若者にいつの間にか好きだと言われて、そのまま絆されて、体まで繋げて、自分の部屋に連れ込んで数年経った。
仕事で家を数ヶ月開けることもある。
その後戻ってもそこに居て、何ら変わらずに甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるその姿にほっと出来た。
仕事のことを聞くわけでもなく、自分が居なかった間の事をひたすらに話し続ける。
適当に返事を返していても嫌な顔一つせず、それに関して怒るでもなく、粗方話し終わった頃にあの腕に抱かれて眠る。
それで仕事が一つ終わったのだと、ようやく安心出来る。
「…、」
無意識に、名前を呼ぶ。
姿をぼんやりと思い出す。
――…帰りたい、
お帰りなさいと、両腕を広げて抱き着いて来るあのでかい子どもの元に。
自分の近くに居れば危険な目に遭わせてしまうかもしれないと思ったけれど、それ以上に自分が求めてしまった、あの子の元に。
足が縺れて壁に倒れ込む。
酷く寒くて、感覚もなくなった体が、重く沈んで動けない。
街灯もないその場所に、崩れるように蹲った。
遠くで声がする。
楽しそうに笑って、次々と食事を出して来るその姿が、浮かんでは消えた。
――…、かえりたい。
涙が辿るその一瞬だけ暖かさを感じたが、すぐに冷えて何も感じなくなる。
名を呼んでみる。
耳の奥で返事をする声が聞こえた。
気持ちが安らいで、笑えて来た。
そのままゆっくり目が閉じる。
遠くで名を呼ばれた気がして、答えようとしたけれど目はもう開かず、声を出そうにもそれも出来なかった。
名を呼んでみる。
何度も。
何度も。
幻だとわかっていても、何度も。
――…かえりたい
熱いぐらい温かい、君の元へ。

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