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そんな終わり(前)(pixiv_2016年3月6日投稿)

駅から高校まで、バスで20分かかる。
早めに乗ったバスにはまだ同じ制服は乗っておらず、いつもぼんやりと窓の外を見ながらその時間を過ごした。
定期を見せて挨拶をしてバスを降りる。
バス停の前にすぐある学校に入って、開いていない教室の鍵を取りに職員室に向かい、鍵を取って教室の鍵を開ける。
そんな行動が既に日課になった頃、席替えがあった。
窓側の一番前の席で、一日中教壇に立つ先生以外とは大して目も合わない。
仲良い友人も作らず、会話をすることもないまま気付けば一日が過ぎて、部活に入ることもなくただ毎日を過ごした。
目立たない髪型、地味な眼鏡、他の人よりはちゃんと着ている制服。
他の人も自分には興味が無いようで、からかって来ることも絡んで来ることもなく、程々の距離を保ってくれていた。
インターネットも携帯もあの頃はそんなに当たり前にそこにはなく、携帯を持っているのはクラスの半分ぐらいだった。
当然それを手にしたいなど思うわけもなく、人との接点は直に話をする以外にはなかったそんな時代だった。
そんな時、声を掛けられた。
帰りのバスに向かおうと歩いていたら、後ろから声を掛けられた。
ウォークマンで外の音を遮断していて気付かずに歩いていたら腕を掴まれ、驚いて振り返るとそこには見たこともない背のでかい男が居た。
不思議そうな顔をして自分を見下ろしていて、イヤホンを外すと「帰り?」と聞かれたので足を止めて振り返る。
知らない人と話す気も起きずに返事をせずに居ると、「話があるんだけどいいかな」と笑顔でそう聞かれた。
どうぞと促すと人が居るところじゃちょっと、と曖昧な声が聞こえたので、仕方なしに駅まで一緒に歩くことになった。
後ろから追い抜いて行く自転車がその男に楽しそうに声を掛けながら走り去る。
それに答えて叫ぶのを横目で見ながら、会話もなくただ歩いた。
学校を離れて視界の範囲に同じ制服が居なくなった頃、大きな公園を突っ切る。
ベンチに座ってと促されて、座るとそいつは目の前に立った。
「一目惚れした。付き合って欲しい」
言われた言葉は理解出来たが、意味が理解出来ずに思わず遥か上にある顔を見上げた。
きらきらと一点の曇りもない笑顔がそこにあって、言われた方が訝しんで首を傾げるしかなかった。
「――…何で?」
「え?」
「…男って、わかってるよね?」
「うん。でも、好きになっちゃったから」
そう言われて、自分はまた首を傾げる。
背の高い、光に透けたこげ茶色の髪が風で揺れている、柔らかい雰囲気を持っているけれどちょっと軽そうな奴、というのが第一印象だった。
自分と接点など持つわけもないそんな外見の男にからかわれているんだなとそう結論が出て、ただ「ごめんなさい」と頭を下げてその場を後にした。
「え、ちょ、待って…、」
慌てた声が後ろに付いて来るのがわかったが、振り返らなかった。
そのままの距離を保ったまま歩き続け、駅に辿り着く。
気配はまだそこにあったが気にせず改札の中へと入った。
それを追って来る事もなく、ほっと一息吐いて電車が来るまでホームにあるベンチに座って待つ。
見上げれば歩道橋の上にさっきの男が居るのに気付いて、視線を止めた。
それに気付いたように、ひらひらと手を振るのが見えたが何もせずただじっとそれを見ていた。
電車が来ると言うアナウンスが聞こえ、ホームに滑りこんで来る電車に乗り込む。
歩道橋が見えない位置の座席に座って、イヤホンをまた耳に戻して再生ボタンを押した。

その翌日からバスを降りるとその男が待っていた。
やはり一点の曇りもない笑顔で「おはよう」と言われたが、驚きの方が勝って無視する形になってしまった。
いつも通り職員室に向かおうとすると「鍵取って来たよ」と見せられた。
だったら行く意味もないので教室に向かおうと身を翻すと、嬉しそうな顔が見えて自分を先導するように前を歩いて行く。
鍵を開けて、教室の中に入って来る。
肩に掛けた鞄を下ろしたその席は自分の真後ろの席で、何してんだと思ってそれを見ているとそれを感じ取ったのか「ここ俺の席」と笑顔で言われた。
「――え、」
「…ちなみに、俺の名前知ってる?」
一瞬躊躇った後首を振ると笑い声がして「やっぱりね」という呟きが聞こえた。
「じゃあ昨日の俺、かなり怖かったんじゃない?」
「…」
「知らない奴に、声掛けられたのに、何で無視しなかったの」
その問いに答えられず、俯く。
理由は特になかった。
ただ自分自身が声を掛けて、無視されたら嫌だなと思ったから。
それを人にされたらやっぱり悲しいから、だから。
言い訳が頭の中をぐるぐる回って、何も言葉にならずに消える。
「…無視しないでくれてありがと、」
そんな優しい声が聞こえて視線を上げると、そいつは机に腰掛けてこちらを見ていた。
「俺と付き合って下さい」
昨日と同じような、そんな言葉がまた振りかかる。
「…友達、で、」
「…」
「…って、意味?」
「…友達ならいい?」
その問い掛けには答えられずに居ると、数人クラスメートが入って来て急に教室が騒がしくなった。
はっと気付いて自分の席に座り、イヤホンを耳につけて窓の外に目を向ける。
背中に視線を感じたが振り返らず、チャイムが鳴っていつも通りの毎日がまた始まった。

席が前と後ろ。
ただそれだけだった。
会話もない。
後ろの席の男は未だに名前も知らずに居たが、毎朝バス停で自分を待っていることが当然のように朝が始まる。
あいつが鍵を開けて先に中に入って、それに続いて中に入ってそれを背にしてチャイムが鳴るまで少し寝る。
声を掛けて来るわけでもない。
だからと言って気配がどこかに行くわけでもない。
ただ数分間二人だけで教室に居て、数分後バスを利用する数人のクラスメートが入って来る。
そんな毎日が続いた。
春が来て、学年が一つ上に上がった時、あの時と同じように声を掛けられてまたあの公園でベンチに座ってあいつを見上げた。
「付き合って下さい」
そう言われたけど、こたえはやっぱり「ごめんなさい」でしかなかった。

徐々に暖かくなって、最低気温もあまり低くないと感じ始めた。
その筈なのに服を着込んでも、寒さしか感じず、思わず肩を竦めポケットに手を入れて歩いた。
誰も居ないバスに乗り込んで、ぼんやりと外を眺める。
町にはまだ人はまばらで、知っている風景とは少し違う。
学生服を着て自転車に乗る姿にふと目が止まる。
それをバスは追い抜いて、視線はまた町並みに戻った。
久し振りに通る道順に、変わってしまった点や変わらない点を次々と見付けては懐かしさが込み上げる。
定期券ではなく電子パスに変わった事に少し感慨じみて、降りたその先に居た筈のその姿を思い出す。
バスが走り去って振り返るとそこは懐かしい母校があった。
外観や作りは少しあの時から変わっていて、懐かしさと共にその変化に驚いた。
ポケットに手を入れてしばしそれを見上げ、あいつがいつも居たその場に立ってみる。
晴れの日も、雨の日も、風の日もあいつはまるで忠犬ハチ公のようにそこに居て、自分を待っていた。
春になると告白された。
それを自分は「ごめんなさい」と繰り返し続けた。
それなのに毎朝そこに居た。
高校を卒業する時にまた同じ言葉が繰り返されて、あの公園で俺はまた「ごめんなさい」を繰り返した。
相変わらず携帯を持って居ない自分に、あいつは自分の携帯のアドレスを渡して来た。
無言で、受け取るまでじっと差し出したまま動かなかった。
根負けして受け取ると、そこには嬉しそうな顔を隠すことなく自分を見下ろして居た。
「好きです」
三度目の告白。
春のいつも同じ日。
それをいつも断って来た自分。
見慣れた制服姿ではなく、シンプルな装いのその姿に気後れした。
「…友達、で、だろ?」
「…キスしたい」
その言葉に、思わず目線を上げると見慣れた笑顔ではなく少し困ったように笑う顔がそこにあった。
「って思うのは、友達じゃないだろ?」
「…違うだろ…」
「うん。じゃあ違う。俺、お前の事そういう風に好き」
「――…」
真っ直ぐな目から逸らせず、固まったように動けなくなる。
恐怖や嫌悪じゃない。
だからこそずっと見ないようにして来た。
ふと、真摯な目が緩むと、開放されたように視線を反らした。
「だからよろしく、」
捕らえられたら終わりだと。
自分の何処かが警鐘をずっと鳴らしていた。
だからそれに従った。
また「ごめんなさい」と繰り返した。

あいつは大学に進学し、俺は高卒で公務員試験に合格して働く道を選んだ。
堅実で、安定した道を早めに手にした。
パソコンのアドレスにあいつからのメールが届くのを確認する毎日に変わった。
今日の出来事、大学のこと、友人のこと。
日記のようなそのメールの最後には、いつも『大好きだよ』とサインのように添えられていた。
返信もしない。
電話も掛けない。
それなのに毎日届いて、俺も毎日それを確認して読んだ。
マメで気長なのか何なのか、あいつはずっとそれを繰り返す。
また春の日に会うことになって、あの公園に呼び出された。
「一年経ったね」
ベンチに並んで座るのはその日が初めてで、同じ高さの視線に少し戸惑った。
焦げ茶色の髪が少し短くなっていて、相変わらず少し軽い、柔らかい雰囲気だった。
「…変わんないの?」
「うん。益々キスしたい」
一点の曇りもない笑顔はそのままにそんなことを言うものだから、「…したら冷めるのかな」と自分自身の問い掛けを口に出したら「してくれんの?」と身を乗り出して来たので思わず逃げた。
「…しねえよ」
と両手を出して押し退けると、その手の平に口付けられた。
驚いていると手首を掴まれて指にそっと唇が触れた。
視線は合ったまま、指をなぞられて、また指に口付けられる。
「好きです」
不意に見る真面目な顔に目を奪われていると、顔が近付いて来た。
逃げる間もなく唇が触れて、頭が理解する間もなく顔が離れた。
「…何か変わった?」
「…」
後ろに倒れそうになる体を、優しく引き戻される。
瞬きが止まらなくなっていると、ふっと笑う声がした。
「ねぇ?」
「…」
「…何も言わないならもう一回しちゃうよ」
「…」
その言葉にぐるぐると血の上った頭を必死に回転させる。
また眼の前がふっと笑った。
「…かわいい、」
その呟きとその笑顔に向かって、一発思いっ切り殴ってやった。

メールは相変わらず毎日届いて、日課のようにそれを読んでいた。
上司に「彼女から?」とからかい半分で聞かれることも増え、その度に苦笑いを返すしかなかった。
『大好きだよ』
その文字にもいつの間にか慣れて、それがあるのが当たり前になった。
社会人二年目の春に、携帯を買った。
一緒に買いに行くことになり、週末に会って二人で色々携帯を選んだ。
折りたたみではないそのシンプルな携帯を選んで、それを手に公園で早速弄ってみる。
その横で見守るように画面を覗き込んで来て、色々機能や操作を教えてもらった。
「俺の名前、知ってる?」
その問い掛けに、知ってるとは言い難いその事実に閉口する。
それを気にした風もなく笑う顔が近付いて来て「じゃあ登録の練習」と携帯を覗き込んだ。
「綾妻、」
「…あ、やめ、」
「で、変換。下のボタン…そう。で、直意」
「なお、い」
「で、電話番号は、」
額が触れそうな程の距離感に思わず緊張した。
それに気付いているのか居ないのか変わらぬその距離のまま携帯の操作を指示してくれる。
「…せんば、ってこの字で合ってるっけ」
「仙人の仙、に庭、」
「下の名前は?」
「…フカミチ、」
「どんな字?」
「深い、道」

登録しているのはあいつと、家と、親と、そんなもんだけだった。
それから携帯にメールが送られて来るようになった。
俺も返信するようになって、簡単に遣り取りをするようになって、週末たまに会うようになって買い物をしたりどこかに出掛けたりするようになった。
何を話すでもなく一緒に居て、日が沈めばあっさり家に帰った。
あのキス以来触れてくることもない。
以前女の子と一緒に居るのを見たことも何度かあるから、自分への興味は普通に友人にシフトしたのだとばかり思っていた。
それでも毎日メールは来て。
『大好きだよ』の文字に二人が並んで歩いている姿が脳裏を過る。
もうこれはただ単に習慣なんだろうと、自分を納得させて毎日メールを読んだ。
遊びに行こうとまた誘われて、いつも通りに待ち合わせをして何をするでもなく一日一緒に時間を過ごす。
自分とタイプの違う直意と接していて、音楽や映画や服や趣味に関わる度に楽しかったし、そういうことを共有してくれる『友達』だと思っていた。
直意にもまた自分がいいと思った音楽や映画の話をして同じ感想を持ってくれたり、違う見方をしてそれについて話をすることが楽しかった。
メールでいつの間にかそういう遣り取りをするようになって、そのうち愚痴や悩みも相談出来るようになった。
自分では考えの及ばないような解釈やポジティブシンキングに笑っているうちに愚痴も悩みも馬鹿馬鹿しくなってまた仕事に前向きに戻れた。
知らず知らずのうちに心の拠り所になっていたし、楽しくて仕方がなかった。
たまにまた女の子と一緒に居るのを見たりして、自分の心が少しざわつくのも気付いて。
徐々に警鐘が大きく鳴り続けた。
その度に自分は大丈夫と警鐘が治まるのを待った。
それなのに春にまた「付き合って下さい」と言われて、驚いた。
遊びに行った帰り、ふと手を掴まれて向き合う。
一年に一度、少し困ったような顔をして笑うその顔を、その年もまた見上げた。
「…お前気長だよな」
「そろそろお覚悟願います」
ね? とばかりに首を傾げるその顔を見上げると思わず溜息が出た。
「…この一年何人も女が居た奴が、」
「あれは彼女とかじゃないから」
「…」
そのあっさりとした口調に、俺は首を傾げるしかなかった。
言おうか言うまいか少し考えた顔が見えた後、「全部深道の代理」と、そんな言葉が聞こえた。
「…!?」
「黒髪で、髪短くて、背が少し高いボーイッシュな子ばっかりだったでしょ?」
「…知らねえよ」
「あの子達抱きながら、深道の事ばっかり考えてやってた」
「…最低だな、お前」
「…うん」
「――」
「…俺、深道じゃないと駄目みたい」
泣きそうな笑顔を初めて見て、もう駄目だと思った。
直意の懐に少し近付くと倒れ込むように腕を伸ばして抱き締められた。
俺は逃げなかったし、直意も離す気はないように感じた。
「好きなんだ」と掠れた声が苦しそうに聞こえて、その背中に腕を回した。
そのままキスされた。
頭を撫でられて、抱き締められて、抱き締め返した。
友達じゃなくなったのは、この日から。
警鐘は鳴り続けていたけれど、その音にもすっかり慣れてしまっていて、もう危険と捉えることも出来なくなっていた。

そのベンチも今では場所が移ってしまってなくなっていた。
植え込みは新芽が芽吹き始めていて、春がもう来ていたことに気付く。
ポケットに手を入れて歩き続け、駅へと向かった。
4つ先の駅で降りて、通い慣れた道を歩く。
そこに向かう足取りは徐々に重くなり、心も曇り始めた。

一人暮らしを始めたのは、直意と付き合うことになってからだった。
何となく黙っているのにも申し訳なくて、母親に蔑まれるのを覚悟で一人暮らしの報告と共にした。
「男を好きになったから、もしかしたら結婚とか子どもとかそういう未来はないかも」
驚いた顔は今でも忘れられない。
「その人と、一緒に暮らすの?」
「――…いや、それはまだ」
それでも出て来た言葉は「そう、」という一言だけで、それ以上でもそれ以下でもなかった。

しかし一人暮らしを初めて数ヶ月が経って実家に荷物を取りに戻った時、父親が凄い剣幕で自分を問い正した。
「お前、男と付き合ってるって本当か」
「…」
「…何考えてるんだ。普通に考えておかしいことぐらいわかるだろう」
「…」
「…何とか言え」
怒りで震えているのか、拳が握られたまま小刻みに動いているのが見えた。
体から血の気が一気に引いていったかのように全身が冷たくなるのがわかった。
父親の剣幕と、自分が下した決断が間違いでしかないのだと突き付けられた気がして頭が真っ白になる。
「…ごめんなさい」
ようやく出て来た言葉はそんな言葉で、父親から目を逸らした。
「――」
「それでも、そいつのことが好きなんです」
そう言った瞬間に、殴られた。
母親が叫びながら父親を止める姿が見えて、何も考えられなくなる。
恥さらし。
お前とはもう親でも子でもない。
二度と返って来るな。
罵詈雑言が響き渡って、耳鳴りがする中取りに来た荷物も忘れて家を飛び出した。

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