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金曜の夜2(pixiv_2015年7月25日投稿)

初めて人を好きになった。
初めて好きになってくれた。
初めてキスした。
初めて体を重ねた。
全部初めて。
そして初めて、心の底から殺したいと思った。

女の人と一緒に歩いていた。
ベビーカーを押して、小さい女の子と手を繋いで。
「パパー!」
と、もう一人男の子が走って来て同じように手を繋いだ。
妹さんの子どもか、とか知り合いの子かという選択肢すら消えて。
楽しそうに、幸せそうに、彼らはそこに居た。
世界中の音が消えた。

金曜日の夜に会っていた。
気を失うぐらいまで求め合って、朝まで一緒に居た。
未来の話もした。
二人のこれからについても。
全部嘘だった?
そう思った瞬間に殺したいと思った。

別れを切り出したのは自分。
ただ別れたいと言った。
理由を問い質して来ることも、縋ってくることもなくただ「今までありがとう」とだけ言って去って行った。
悲しいのか悔しいのかわからないまま日々は過ぎて行く。
アドレスを消そうと携帯を開いて、出来なくてまた閉じる。
もしかしたらまた連絡が来るかもしれないと携帯を開いて、何の変化もないその画面に溜息をついてまた閉じる。
そんな時に声を掛けられた。

目の前の甘い物を見ながらコーヒーを飲む。
楽しそうに嬉しそうにひたすら眺めた後、それはもう美味そうにゆっくりじっくりと食べる。
女子ですらそんな味わい方しないだろ、と思う程幸せそうに食べる姿を見てこっちも顔が綻びる。
何口か堪能した後、はい、と一口分差し出されて一瞬躊躇った後俺もそれを食べる。
甘い。
どう、ときらきらとした目で問い掛けて来るが、「甘い」としか返せずにコーヒーを飲む。
それでも「甘いよねー、」と楽しそうに笑ってまた口へ運ぶ。
幸せそうに。
あの人を思い出す時間が徐々になくなっていった。

風呂から出ると携帯が光っていて何の気なしにボタンを押した。
そこにあの人の名前があって、凍りつく。
『まだ君を忘れられない』
それだけが書いてあって、携帯を閉じた。
心臓が大きく鳴り響く。
自分でもこんなに動揺するなんて思っても見なかった。
忘れたと思った。
それなのに。

気付いたら頭を撫でられていた。
家で。
ソファーに並んで。
テイクアウトのケーキが二つ並んでいて。
それをじっと見下ろすように座って居て。
それに気付いて、頭を撫でられているのに気付いて。
淹れられたコーヒーはすっかり冷めていて、俺はどれ程ぼんやりしていたのか記憶に無い。
待ち合わせして、ケーキ買いに行って、家に行って、用意してくれて、一緒に座って。
どれぐらい時間が経っていたのかも、今までどうしていたのかも記憶に無い。
頭を撫でてくれるその顔を見上げると、ただそこに穏やかな顔があった。
何があったのか聞いたりもしない。
それに気付いた瞬間、堰を切ったように涙が溢れた。

久し振りに触れた。
熱くて、気持よくて。
優しくて、苦しかった。
夜中に目が覚めて隣で眠るその顔を見ていたらまた泣きそうになってベッドから出た。
テーブルに置かれたままのケーキに気付いて、慌てて冷蔵庫に入れた。
少し溶けて形が崩れたそのケーキに謝って、冷蔵庫の扉を閉める。
テーブルに置いたマグカップの前に座り込んで、両手で持った。
淹れてくれたコーヒーもすっかり冷めていたが、流すのも申し訳なくてそのまま一気に飲み干した。
「…苦ぇ…」
慣れた筈のブラックなのに。
「…あまいもの、」
食べてないからかと考えが至って、肩が落ちた。
涙がまた溢れる。
どうしたらいいのかわからなくなる。
ふと、手の中からマグカップが消えた。
驚いて顔を上げると、顔を確認する間もなく腕を掴まれて立ち上げられる。
驚く間もなくベッドに倒されると、そのまま額に口付けられて抱き抱えられた。
何も言わない。
胸に耳を寄せると、怒っているのか心拍数が早いことに気付いて視線だけを上げる。
何も言わない。
ただ頭を撫でられて、少し強目に抱きしめられた。
息を吐く音がした。
「…帰ったのかと思った…」
そう呟かれて、胸が締め付けられる。
「…ごめんなさい、」
一度そう口にすると、その言葉が止まらなくなる。
壊れたように繰り返す俺の顔を覗き込んで、そのまま口付けられた。
息が上がる。
抱き締めて、抱き締め返されて、絡んでまた離れる。
そのうち上に伸し掛かられて両手を絡められた。
ひたすら口付けていたが、もう抑えが効かなくなって俺が服の中に手を差し込んだ。
それに応えてくれる。
さっきあれ程したのに、止まらなかった。

目が覚めると頭がスッキリしていた。
カーテンの向こうはすっかり日が昇っているらしく、縁取るように光が微かに見える。
隣で眠っている姿はなかったが、少し遠くで何か炒めているような音がしたのでほっと息を吐いた。
ぎしぎしと軋む体をゆっくりと起き上がらせる。
昨日は申し訳ないことをしたと思いながら用意してくれて居た部屋着を手に取った。
その横に携帯が置いてあり、ゆっくりと手を伸ばす。
またメールが来ていたが、不思議と心は穏やかでそれを開くことなく消去した。
今までのメールも全部消す。
アドレスも消した。
登録していないものは全部拒否される設定になっている。
すっと軽くなった気がして、そのまま携帯を閉じ、その場に置いてリビングへ足を向けた。

「…溶けて形悪くなったな」
「んー。今度は店で食べようか」
横に並んでソファーに座る。
俺は横に座って楽しそうにケーキを食べるその顔を見上げた。
少し乾燥して、形が崩れたケーキを食べながら「お店の人に怒られちゃうね」と楽しそうにそう笑う。
マグカップを両手で持ちながら、その顔を見ると、はい、と一口分を差し出して来て、それを食べる。
「甘、」
そう呟いてコーヒーを飲もうとすると、顎を掴まれて上を向けられ、そのまま口付けられた。
舌が絡み、急なことで眼の前がちかちかして、思わず固く目を閉じる。
「甘いね」
離れながらそう呟かれて、前髪を撫でられる。
目が合うとにこりと微笑まれて、またケーキに目が戻った。
すぐそこにある足に凭れ掛かると、また優しく頭を撫でられた。
「あの店の近くに、シュークリーム専門店があってね、」
「俺、甘いの苦手なんだけど」
そう言ってみると知ってますとばかりに微笑まれる。
また口付けられる。
チョコレートの味がする。
向こうはきっと苦目のコーヒーの味がしている。

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