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私の感じる青春コンプレックス


 こんばんはー!うみです☀️

 いきなりですが!皆さんは自分の性格のことどういうふうだと思っていますか?

 ちなみに私は、おしゃべりで割とペラペラ喋ってしまう方です😇中学まではにこにこして誰とでも仲良くできる性格でした!でも、高校に入って誰とでも仲良くする必要はないと気がついてから、仲良い人以外とは特に話しかけずに不用意ににこにこすることもなくなりました。にこにこしすぎて友達や後輩から舐められることが多かったから、にこにこしなくなった途端、舐められたりバカにされたりすることは減ったのですが、明らかに愛想がなくなって、「前とは変わったね」と言われることが多くなったし、自分でも自身のことをそう思うことが増えました。😭また、そうやって生活していたからか考え方も達観的、冷めた見方になってしまって性格も変わっていった気がします。

 「気持ちを変えると性格も変わったなぁ」と思う私の中学、高校、大学を振り返って思う青春コンプレックスについて考えたいと思います👀


「あの時こうして過ごしていれば」


 私の思う青春コンプレックスは大体この考えがほとんどです。
 私は、にこにこしなくなってから1番何が変わったかと聞かれれば、「物事を冷めた目で見るようになったこと」が1番だと思っています。何をしても「めんどくさいなあ、帰りたいなあ、したくないなあ、どうせ私がこんなことしても、、、」みたいな気持ちが特に高校生、大学生の時は心のほとんどを占めていました。反抗期とかモラトリアムとか色々な時期が重なった結果かもしれないけれど、どうしてかこういう考えを捨てることができませんでした。
 なりより、青春を全力で楽しんでいる人(私の中ではお化粧してオシャレしてインスタに載せて、キラキラした日常を過ごしている人)を見て、「人に見せるために何してるんだろう」って思ってしまっていたことです。別にこういう方々は人に見せるためじゃなくて、好きで楽しんで好きに遊んで、日記代わりにインスタを活用している人もたくさんいると思います。でも私自身がそんなことしたことないから、「素直に楽しそう、やってみたい!」という気持ちを素直を言葉にできず、捻くれた目で見てしまっていました。。。
 「もっとまっすぐ過ごしていれば、」と今では後悔しています。

そんなふうに考えていたら


 そんなふうに人のSNSを見て素直に「いいなあ」とか「やってみたいなあ」という気持ちを出せずにいたら私自身がSNSを使ってみようと思うタイミングが来た時に、SNSに載せても「別にいいことないなあ、色んな人に冷めた目で私の思い出を流されていくのだ」と思うようになりました。昔どこかでお笑い芸人が「自分が人に向けた目線は自分に返ってくるからまっすぐ物事を見るようにしないと自分自身が楽しめない」的なことを言っていた気がするのですが、今はその気持ちがとてもよくわかります。私自身が曲がった目線を人に向けていたから私が「やってみよう」と思った時には、真っ直ぐに自分の行動を肯定できる目線を持つことができませんでした。最近やっとこれに気がついて、「なんてもったいない学生生活を送ってしまったんだろう」と思うことが多々ありました。
 やっぱりまっすぐで素直で好きに生きていた方が自分の行動にもまっすぐ向き合って生きていけるのだと感じました。


 私の青春コンプレックスは俗にいう「部活してれば」とか「勉強していれば」とかではないんですが、(勉強に関しては今でも必要性をひしひしと感じています)自分の考え方を変えていれば「もっともっと学生生活を学びの多いものに変えられたかもしれない」「交れた人がもっといたかもしれない」という後悔が今コンプレックスとして心にずっと残っています。「もう1度学生に戻れ!」と言われたら「捻くれた目で物事を見ること」をやめるように過去の自分に言いたいです。


 自分の考えていることが自分の行動に繋がると実感しました。捻くれたことばっかり考えているといざ自分が楽しむときに楽しめない原因を自分で作ってしまっていました。


 これからはまっすぐ素直にいいことはいい、やりたいことはやりたい!と口に出せるように考えを改めたいです!




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