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「何者かになりたい」と願う人へ

SNSが普及し、日常になってから何年経つでしょう。
誰とでも繋がれ、何でも表現できる世界。
SNSの中では、テレビの中の芸能人も毎日会う友達も、誰もが知ってる大企業の投稿ですら、同じコンテンツとして一つの画面に表示されます。

数週間前まで自分と同じようなフォロワー数だった人が、今では有名人に。SNSで名をあげた人が、テレビに出演することも珍しくなくなってきました。

またSNSは遠い世界の知名度を表すだけではなく、身近な世間の評価も反映します。
友人の仕事の成果や恋人との写真など、何らかの形での成功が今日も綴られ、そのような投稿は普段より多めにいいねがつく。

フォロワー数やいいね数は、自分がどれだけ社会から見られているか可視化された数値のような気がしてしまいます。
そんな環境が当たり前になった現在、他人と比較して自分の個性に悩む声が広く聞かれるようになりました。

「もっと認められたい。」
「特別になりたい。」

こうした願いは、一つの欲求に言い換えられます。

「何者かになりたい。」

そうして生まれた何者かになりたいという欲求は、好ましく思われるものではなく、多くの場合軽んじられたり、時には嘲笑を浴びる。

自分でも愚かなのは知っている。
痛いくらい分かってる。
本当にその通りだと思うけど、それでも何者かになりたいのです。
人が変わろうとする姿は一様に美しいはず。
それなのに何故「何者かになりたい」という欲求だけ蔑まれるのか。

ただ「何者」を目指す危うさについては、多くの人が理解しているでしょう。
誰かに認められたいと思うあまり、自分を酷使してしまったり。
誰かを見返したいと思うあまり、人の痛みに鈍感になってしまったり。
「何者かになりたい」という欲求には、自分を否定し傷つけ殺してしまうような危うさを孕んでいます。

心を殺せば、有名や特別になることは簡単です。
自分や他人を粗末に扱うYouTuberや、人を殺して象徴になったジョーカーみたいに。
でもそれは本当に今のあなたが求めているものでしょうか。

変わりたいと努力する人が、本当の意味で報われてほしい。

この記事では「何者かになりたい」と願い変わろうと努力する人の支えになり、道標になるような記事を集めました。


「何者かになりたい」自分を認めること

多くの人がいうように、また自分でも愚かだと思うように、何者かになりたいという欲求は悪なのでしょうか。

「生きているだけで、愛」などの著作を執筆した小説家であり、自分の劇団を持つ劇作家でもある本谷有希子さんは自身の過去を振り返ってこう述べています。

自分が特別な存在になれるだなんて、もちろん客観的にとてつもない勘違いをしていることも頭の隅ではわかっていました。自分ほどみっともない生き物はいないな、と思ってましたし。だけど、現実も見えているけど、それでも痛い思いをしたり恥をかいてでも、とにかく行動しないとなにも始まらない。ただやるだけだなって。そういうふうにやってきたんです。

本谷有希子さんは自分のみっともなさを認めつつ、それでも行動を続けました。

「特別になりたい」「何者かになりたい」と思う気持ちは、どんなものであれ自分の本心であり行動を起こす原動力に変えることができるのだから、否定せずにやるだけやればいい。

「何者」を目指す欲求も、前に進むための立派な推進力にしていいと自信をくれる記事です。


コンパスを手に入れる

「何者かになりたい」という欲求を持っていることは、アイデンティティーであり、自分のエネルギーの証明です。

ただ「何者」の持つエネルギーの危うさは、前述の通り。

だから進むべき道を示す指針がいる。
それは行くべき場所が詳細に乗っている地図でもいいし、進むべき方向だけがわかるコンパスでもいい。

先が分からないのが楽しいという人がいます。
その気持ちもわかります。
しかし理想も哲学もなくただ闇雲に進んだ先には光も届かない奈落があり、一度落ちたらそこで生き続けなければならないとしても、そう言えますか。

残念なことに、現実にそのようなことは高い確率で起こり得る。

人を脅したり殺したりして、他人の人生を破壊する犯罪を犯す人。

「認められたい。」「特別になりたい。」
彼らが抱えている欲求は、きっと同じです。

自分のエネルギーが人を傷つけないように、向かうべき方向を知っておく必要がある。
遠くに理想の姿が見える道を選べば、きっとたどり着くまでに出会う人も物事も必要なものだと自信を持てるはず。

次の記事は作家であり本を広める活動を行なっている木村綾子さんが、上京した頃を綴ったコラムです。
印象的なのは、タレント活動を始めた木村さんにマネージャーが最初にかけた言葉。

活躍してる人はみんな、“自分にはこれがある”ってものを持ってる。僕はそこに到達するためのサポートをする役目だと思ってるから聞くけど……。
最終的にはどんな人になりたいの?

24才で大学院に通いながらタレントという職業につき、何者かになれたように感じていた木村さんは答えに窮します。
それから8年間、東京でもがきながら変化していく心情を一冊の本と共に綴った記事です。

やりきった先に「なりたい自分」がいるように。
「なりたい自分」とは自分が愛せる自分、尊敬できる自分のこと。

「何者かになりたい」と前に進みながら、理想像を指すコンパスを探していきましょう。
そして気づいてないだけで、あなたはもうコンパスを持っています。


あなたは本当に何も持っていないのか

「いやいや持っていない。分からない。」
「だって自分には叶えたい夢も好きなことも、他人に認められるような得意なことも、何も無い。」

次に紹介する記事を書いたあかしゆかさんも、そう思っている1人でした。
現在では会社員をしながらフリーのライター・編集者として活躍するあかしゆかさんですが、社会人2年目のころは仕事がうまくいかず「自分にしか出来ないことなんてないのでは?」と悩んでいたそうです。

この記事は、あかしさんがそんな時に出会い、自信のきっかけになった言葉にまつわる話。

一見当たり前に聞こえるけれど、誰もが「自分にしかできないものを持っている」という事実は、なんという「希望」なんだろう、と思った。 

あなただけの特別な素質。

わかりやすく人に認めてもらえるスキルを求めてしまうけど、自分だけのその能力を大切にすることが「何者か」に近づく1番の手段なんだと気づきます。


今望まない場所にいる人へ

でも気づくのが遅かった。今の環境じゃ何もできないと思う人へ。

個人的には、環境を変えるべきだと思います。
でもやめれない環境もありますよね。新しい世界に飛び込む不安も、今の環境への愛着も責任もあると思います。

そう悩む人には是非、次の記事を読んで欲しい。

現在14.4万人のフォロワーを持つフリーライターであるカツセマサヒコさん。
新卒で入社したのは誰もが知る大企業でした。
友人から賞賛され、華やかな社会人生活に胸躍らせたのは研修終わりまでの少しの間。

配属されたのは存在すら知らなかった「総務部」でした。
期待していた部署とは違い、目標から遠く離れた場所で5年間働いたカツセさんが感じた希望と絶望の話。

もし今どんな場所にいたとしても、「なりたい自分」からはそう遠くないと希望を持てる記事です。
どんな過去であっても、現在の自分を必ず支えてくれると教えてくれます。

新卒で入った会社を辞めたときはどうなるかと思ったし、キャリアがゼロから再スタートすることに焦りもあった。けれども、なぜか全く違う職種であるはずの総務部とライターに、共通して使えるノウハウがチラホラとあった。そこで、大体の仕事はなんだかんだ言ってつながっているから、そんなに怖がるものでもないのだと思えた。


私たちは何故「何者か」になりたいのか

「何者かになりたい」という欲求を語る上で外せない人がいます。

小説『何者』を書き、人の虚栄心に向き合い続ける小説家・朝井リョウさんです。

そんな朝井さんが平成の時代に生まれた人の苦悩を描いた小説『死にがいを求めて生きているの』。

「対立をなくそう」も「自分らしく」も、考え方はもちろん素晴らしいけれど、同時に、対立がなければ自分の存在を感じられない人の存在が炙り出される。自分らしさとは何か、自分とは何かということを自ら考え続けなければならないことによって、新しい地獄みたいなものも生まれる。 

多様性が叫ばれ、対立がなくなり、わかりやすい目標がなくなったこの時代だからこそ、「何者かになりたい」という願いは生まれたのかもしれません。
自分は何故「何者か」になりたいと思ったのか。
その背景と向き合うことは、自分が何を求めているのかを知る術になる。

今より先に進むためのヒントになる記事です。

「何者かになりたい」という欲求には、明確な理想がありません。

他人から認められていて、必要とされるようなそんな存在になれるんだったら、何でもいい。というような目標の空虚さ。
それは誰に言われなくても、自分が日々感じていること。

この欲求の背景は「寂しさ」なんでしょう。

他人と繋がっていたい。社会と繋がっていたい。そんな「つながりの糸」を求める気持ちが、欲求の本質であることは自分に何度も言い聞かせたい。

何者かになるため、誰かを傷つけないように。


頑張りすぎてしまう人に

「何者か」を夢見る人は、寂しがりで優しい人なのだと思います。

誰かの評価が常に気になっていて、自分を認めてもらいたいと思っている。
誰かの役に立っている自分にしか、価値を感じる事が出来ない。
誰かに認めてもらうために、全力で頑張れる人。

私たちはそんな誰からも認められる存在を、「何者か」に夢見ているのかも知れません。

だからこそ、人の期待に答えるために頑張りすぎてしまうこともあるはず。
自分の心が押しつぶされそうになることもあるでしょう。でも他人に必要とされない自分に価値はないと思い、自分の痛みは見て見ぬ振りをする。
それではいつか壊れてしまう。

次は高木正勝さんの記事。
高木正勝さんは『おおかみこどもの雨と雪』の作曲家であり、世界が尊敬する日本人100に選ばれたアーティストです。

現在、兵庫の山奥で暮らし自然と音楽に囲まれながら生活をしている高木さん。

周りから見れば、世界からの評価も豊かな生活も手に入れているように思う高木さんですが、高木さん自身は疑問を持っているようでした。

見栄をはらず、等身大の自分で生きる高木さんの言葉に救われる記事です。

誰かが「世界が認めた」っていうときって、ほとんどが都会的な感覚やと思うねんな……誰かに褒められるのは嬉しいことなんやけれど、こういうときの「世界」っていう言葉は違和感があるかも。「世界」っていってもいろいろあるからなぁと思っていたい。


「何者でもない」自分を認めること

「何者かになりたい」という欲求は、行動を起こす推進力にも自分のやりたいことを見つけるきっかけにも、自分の感覚を大切にする一歩目にもなります。
だから欲求を恥ずかしがる事もないし、自分を否定なんてしなくていい。

ただその欲求が根付いているところは、他人の評価や期待を求めている寂しさであることも分かってきました。
だから「何者かになりたい」という欲求に頼りすぎると危ないのは事実です。

他人の評価に依存するような人生は、自分のための人生とはいえないから。

最後に紹介する記事は、自分の人生を考えるためのものです。

他人の期待に答えることで自分を認めていたあかしゆかさんが、働きすぎによって心身を壊しまってから、自分自身と向き合い「自分のための人生」を歩み始めるまでのコラム。

「何者かになりたいという欲求に救われながら、同時に苦しめられている」そんな私たちがこれからどう歩いていけばいいのか、一緒に考えてくれる記事です。

私の人生は誰のためでもない、「自分のため」のものであるという事実を守り抜くこと。誰にも脅かされることのない、自分自身の気持ちを認めてあげられる時間をつくること。 

「何者かになりたい」という心を認めながら「何者でもない」自分を認めてほしい。

自分が望む自分は、その先で必ず待っています。




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