正義には悪が必要?

ふとDonald Trump大統領のニュースを見て思い出していたのですが、彼は自分が見てきた最近のアメリカ大統領の中では唯一戦争をしていない大統領です。だからと言って平和という意味では無いですけど。

一般的に、これまでのアメリカの大統領は仮想敵国(現実の脅威かもしれませんが・・・)を作り、そのものを悪の枢軸として、正義の戦争を仕掛けてきた印象があります。そうすることで国としてまとまりやすくなるんですよね。当然です。でも、サダムフセインなんて、結局悪である証拠もなかったんですよね。どちらかというと独裁者とはいえ、いなくなると国自体が混乱する結果になっています。

SEKAI NO OWARIが歌ってたけど、「正義なんてものを生み出したからみんな争うんだよ」と。これはその通りな部分もあるかもしれない。間違いや悪魔がいるからこそ、「正しい答え」なんて話が生まれるんですから。

前にタモリさんがこう言ったそうです。

戦争が無くならない理由はなんだと思う?それはな、人間の中に『好き』と言う感情があるからだ。そんなものがあるから、好きな物を他人から奪ってしまう。また、好きな物を奪った奴を憎んでしまう。ホラ、自分の恋人をレイプした奴を『殺したい』と思うだろ?でも、恋人のことを好きじゃなかったら、攻撃に転じることはない。残念だけど、人間の中に『好き』と言う感情がある以上、この連鎖は止められないんだよ。『LOVE&PEACE』という言葉があるけど、LOVEさえなければ、PEACEなんだよ。その生き方は、かぎりなく動物や植物の世界に近いな。ただ、『好き』がない世界というのも、ツマラナイだろう? 難しい問題だよ、これは。どうしたもんかね?

これは意外とスッキリした部分もあり、正論とかキレイな言葉で取り繕う人がいるけど、わりと根っこは好みの問題に左右されている気がするんですよね。別にカレーが好きなのに科学的な根拠なんてないんですよね。なんとなく好きなんですよね。人間だって、動物だって、なんとなく小型犬は好きだけど大型犬は苦手とか、それでいいじゃん、と。突然何かにつけて、白黒みたいな感じに、しかも白が正しいみたいに考えなくてもいいじゃん、と。

そんな二択のような間にもっと綺麗な色があるはず、と歌う人もいますね。極端な世界では白黒はっきりしないといけない。でも、自分は青が好きなんですよね。ねぇ、どうして白か黒に分けられなければいけないの?ぼくはそのどちらにいなくてもいい時ってあるでしょ?

なんかこう、つらつらと並べてみましたが、正義とか正解とか正しいこととかって、そのものは好きなのですが、対立軸を意識させるときはすごく苦手です。誰かを相手に、敵に回すというイメージがついてしまうから。

そして、そんな世界に溢れる、マジョリティが正義という感覚もあまり得意ではない。「世間は君の味方だよ」なんて言っている裏にはひとりぼっちにされている人がいるはずですから。孤立・孤独にさせる言動はなんとなく得意じゃないんですよね。なんとなくそんな環境に陥りそうなとき、自分がひとりになる側を選ぶ、あるいは味方の少ない方に付いてみる。だから、人に誰かのことを悪く言ったり、文句を言ったりするのは苦手だったりする。

まとまりないけど、対立が意識される言葉の選択が苦手な自分を思い出してみた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?