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世界で一番簡単な「ほめ」

1年ほど前、その日が「何かを始めるのにいい日」だときいて
noteを始めました。
それから何回かほぼ週一で投稿して、
そのあと10か月、投稿なしの塩漬け状態でした。
今日、また「何かを始めるのにいい日」で「宇宙の元旦」だときいて
再開することにしました。
こんなに間が空いたのに、投げ出さずに続けようとする私、えらい!

とか、自分をほめることは大切だと言われます。
自分をほめて価値を認めれば、他の人の価値も認めることができる。
でも、自分をほめるって、意外と難しい。むしろ
自分をけなす言葉はするする出るけど、
自分をほめようと思うと、頭が真っ白になって何も浮かばない。
「もっと自分をほめる」必要があるのは、きっと
そういう謙虚な人たちです。
謙虚な人がいきなり自分をほめるのは、至難の業です。
おそらく、他人をほめる方が、まだ楽でしょう。

では、他人をほめることから慣れていけばいいのでは?
本当は家族やごく親しい人をほめるのがよいのでしょうが、
自分をほめられない人は、自分に近い人をほめるのも
得意ではなさそうです。
ここで、社会人や仕事をしている人には、いい実践場所があります。
そう、職場です。
とはいえ、まさに後輩や部下をほめるべき立場にある人には
ほめることにもほめられることにも慣れていない世代も多いですし
現実の環境が、お互い多忙で業績も厳しくてその上リモートで
といった状態では、それなりの工夫や労力を要します。
ほめなければ、という義務感が、負担になることもあります。

もし、必要以上の負担や労力を感じることなく
日常的に、気軽に、人をほめることができたら
ほめることに慣れる練習にもなるかもしれません。
そこで、すぐにできる、超簡単な「ほめ」を2つご紹介します。

ありがとう

世界で一番簡単な「ほめ」です。
いやそれは感謝であってほめじゃないよね
という声が聞こえますが、
アドラー心理学では、感謝の言葉は「勇気づけ」とされるそうです。
「勇気づけ」って、相手に対する効果の面では
「ほめ」と、とても近いのではないでしょうか?

(聞きかじりでアドラー心理学を出したので
詳しい方にとっては、話をややこしくしてしまったかと思います。
アドラー心理学では、上からの「ほめる」と横からの「勇気づけ」は
まるで異なるものだとするそうですが、
ここでの「ほめ」は、そうした厳密な定義ではなく
全部ひっくるめて「相手のよいことをよいと伝える」くらいの
意味で使っています)

「ありがとう」の使い方は簡単です。
依頼していた仕事を提出された。質問への回答が来た。自主的に
やってくれたことの報告があった。入ってきた情報を教えてくれた。
何でもいいので、相手からアクションが来たらすかさず
「ありがとう」
すでに、あたりまえにやっている人もいるでしょうし
無意識に「ああ」とか「はい」とかで受けてしまう人もいそうです。
小さなことですが、受け手の印象は大きく違います。
後者は、自分の行為に対して何のフィードバックもありません。
これは、仕事であっても、意外と堪えます。
前者の場合、内容がまだ何も評価されていないのは同じですが
少なくとも、自分が今行ったアクション自体は、評価された
と受け取ることができます。

こんなに簡単なことなら、やらない手はありません。
さらに、慣れるためにうんと省エネするなら
こういう場面の第一声を
「ありがとう」に決めてしまえばいいのです。

簡単ですね。
簡単すぎて、だんだん脊髄反射になってしまい
今の「ありがとう」には気持ちが入っていなかったな、と
時々反省するくらいです。(ひどいですね)

そして、「ありがとう」の役に立つ点はもう一つあって
次の「いいね」と合わせて、副次的な効果があるのです。

いいね

二番目に簡単な「ほめ」です。

私の尊敬する上司は、これが口癖で
ちょっとした資料や報告を持っていくと、必ずと言っていいほど
うんうん、いいねいいね~
と、相槌のように「いいね」を連発します。
(ちなみにこれは、ネット社会を「いいね!」が席巻するより
はるかに以前からのことです)

ほんの一言ですが、これは、マジカルワードです。
言われた側からすると、
具体的に何がどうだとほめられた訳ではない。
明らかな成果を上げて称賛された訳でもない。
でも認められた、評価されたと感じる。

そこで、自分が人に指示を出す立場になったとき
さっそくこの口癖をパクりました。
それで判ったのですが、これは
使う側にとってもマジカルワードでした。
ポジティブで話し上手な件の上司と私は
まったく性格が違うのですが、
この短い言葉は、誰でも無理なく口にできます。
言葉としてあまりにも普通すぎ、日常的すぎて
「自分のキャラじゃないかな」とか躊躇する要素がないのです。
意味としても、まだ具体的に何かをほめているのではなく
単なる感想ですから、発するのに抵抗も負担もありません。

副次的効果

まだ、と書きました。
本当は、「ほめ」の本番はこの後です。
具体的に、どこがどういいのか。何をほめているのか。
それを伝えなければなりません。

ほめるのが得意な人は、瞬時にほめポイントを見出します。
でもそんな高等技術は誰にでもできる訳ではなくて、
提出された資料を「ああはい」と受け取って
何をほめようか考えている間に、
話が終わったと思った相手はそのまま立ち去ってしまって
あるいは通信が切れたり次の話題に行ってしまって
ほめるタイミングを失います。
このタイミングの引き延ばしが、
「ありがとう」と「いいね」の副次的効果です。

「ああはい」では会話は終わりますが、
「ありがとう、いいね」では終わりません。
「え、いいんだ?どの部分が?」と相手は期待して待っています。
その間に、具体的なほめポイントを見つければいいのです。
残念ながら見つからない場合は、
「ここをこうするともっといいよね」など
さりげなく「いいね」を再生産しつつ改善点を示すもよし、
「うんうん、これでいこう」など曖昧な言葉を繰り返すもよし。
相手は大満足ではないでしょうが、
なんとなくほめられたっぽい、という印象は残ります。

もちろん、常に「ありがとう、いいね」だけでは
相手のやる気も高まりませんし、成長にもつながりません。
できるだけ具体的な「ほめ」がその後に続けられるよう、
まずはほめることに慣れるための応急処置としては
便利なのではないかと思います。

***

もっとも、持ってこられたものがダメダメな場合は
「いいね」は使えません。
が、「ありがとう」は使えます。
(とにかく何かしようとしてくれたことに対しては
感謝する理由がありますから)
ともあれ、「ありがとう」も「いいね」も
こんなに短いシンプルな言葉ですが、
日常遣いの「ほめ」にはとても便利で
お互いに気分がよくなる、すてきな言葉だと思うのです。

そして・・・これは、「自分ほめ」でも同じように
使えるのではないでしょうか。
それはまた次の機会に書こうと思います。