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ー雑記ー 自分の人生を肯定・尊重するためには

 こんちわ。茗花です。

 この前、小学3年生から中学3年生までの6年間、一緒にバスケをやっていた友達と2時間くらい電話した。3年制の大学を卒業して今年の春から仕事をしている彼女とは大学1年生の夏にあって以来だったので、約3年ぶりくらいに会話をした。近況報告会だ。話をしていて、昔は一緒になって遊んだりバスケしたり話したり勉強したりして一緒に時間を過ごすことが多かった分、最近の彼女が少し遠くに感じた瞬間もあった。
 大学で優秀成績者になるくらい頑張って勉強して、実習もやって、自分でいろいろがんばって生活して、仕事を得て、生き生きと働いている彼女が眩しく感じた。楽しそうに生きているなあ、と。
 私自身も楽しい高校生活・大学生活を送っているが、人から聞く楽しそうな話は惹かれるものがあった。いいなーって思った。
 バイバーイって言って通話を切って、ふう、と一息ついてから携帯のメモにこんなことを綴った。

――― 人によって、歩んできた人生は違う。経験してきたことも、できることも、感じることも、考えるものも、残るものも。
 だから、自分と違う経験をした人を見て、羨むことはしてもいいけど、自分の経験と比較して優劣を決め込んで自己嫌悪に陥ったり、物足りなさを感じたりしないこと。
 友達の壮絶な人生の話を聞いたり、充実した活動や生活の話を聞いたりして、自分と比べてしまって「自分の人生は薄っぺらい」とか「自分は他人より経験不足なんだ」とか思わないこと。
 その人にはその人の思いや経験があって、私には私の思いや経験があって、それらはそれぞれ唯一無二のもの。人ひとりの人生には運や縁など偶発的で運命的なものの重なりで出来ている。クローンを作ったとてきっと同じ人生は歩めない。人生は1人ずつまったく物が違うんだから自分の人生とそれ以外の人生を同じ土俵に上げて比べたりするもんじゃない。
 だからこそ、心に落としどころを作って、羨ましく思ってもその都度「ま、私の人生私だけのものだし!」ってフフッて笑って前を向いていけばいいんだと思う。 ―――

 私の人生は、これまでもこれからも私の選択の連続で出来ていく。私の人生の厚みを肯定することは、過去の私の選択とこれからの私の選択を尊重することであると思う。正解の選択肢なんてないし、ターニングポイントで何を選んだって、私の性格上きっと多少後悔はするんだと思う。から、私の選択を正解にしようと今を頑張って生きることを私は大事にしたいなって思う。

おーわり。

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