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―雑記― 自分軸で生きる、私の解釈

 先日、1年ぶりくらいに、高校時代の友達に会いに行った。私の高校時代の友達、ちゃんと今までしっかり繋がっているのはたぶん3人くらいしかいないんだけど、そのうちの1人。こんなに長い付き合いになるとは思っていなかったけれど、もうここまで続いた仲はきっと一生切れることはないだろうと思っているし、ずっと繋いでいたい大切な存在である。
 ある時、フェスに行こうというお誘いをいただき、2日間通しで参戦するために泊まりで名古屋に滞在することになった。彼女はつい2週間ほど前、2年ほど付き合っていた彼とお別れをしてかなり沈んでいたので、会うとなったら何か励ましになるものを渡したいと思った。私がいるよ!!と言えるような、支えになればいいなと思うものを彼女に持っていてほしくて、手紙を書くことにした。
 手紙を書くのが好き。手書きで、ゆっくり時間をかけて、丁寧に、なるべくきれいな字で、その人のことだけを考えて、伝わるといいな、どんなことを感じてくれるのかな、と想像しながら、優しい口調で、自分なりの言葉を紡いで、自分の気持ちを届ける、その形が、時間が、好きだ。
 彼女への手紙を書いた。
「最近、ひとつの恋を終わらせたあなたに、よく頑張ったねと言いたい。」
「しっかり者で、周りの細かいところによく気が付けるあなたは、きっとすこし強がりで、気を使って周りに心配を掛けまいと、弱音を吐いたりしないでしょう。」
「でも、少し心配なのは、あなたが一人で全部の悩み事を抱え込んで、音もなくいなくなってしまうんじゃないかということ。いなくなってしまわないでね。」
「あなたは私の大切な友達だから、私の人生に必要な人だから、なにかあったら、私に聞かせてほしい。なんでもいいよ。いつでもあなたの味方だから」
 こんな感じのことを書いた。私は自分の感情とかに鈍くて、どう感じているのか自分でも気づけないことが本当に常だ。「私はどうしたい?」「私今何が欲しい?」「何になりたい?」「何が大事?」が希薄な感じ。
だからこそ素直な気持ちが吐露できる手紙というのは自分にとって大事で、忘れたくない「自分自身の言葉」であり「感情」なのだ。

 フェスを超満喫し、無事に手紙を渡すことが出来、そのままお互い帰路に就いた。

 後日、彼女からこんなDMを貰った。
「もらった手紙が嬉しすぎて冷蔵庫に張ってるから、茗花(わたしのこと)をよく考えるんだけど」
「なんというか、欲しいと思ったものは素直に欲しいって言っていいんだよ!!って思った!」 って。
「恋愛なら、忘れられない彼なのか今付き合ってる彼なのか、他にも友達とか物とか、人生において私はこれが欲しい!って思ったら考えずに欲張ってみてもいいのかもしれないよ」 って。

 DMがきたの夜中だったんだけど、泣いちゃったよね、夜中に。
 それは私がずっと言ってもらいたかった言葉なのかもしれない。何回読み返しても毎回涙が浮かんでしまった。
 「ほしい」って思っても、口にするほどじゃないっていう遠慮とか、どうせ思っても叶わないという諦めとか、拒絶されたり困らせるのが怖いという臆病さとか、いろんなものが私の「ほしい」の実現を邪魔してきた。
 傷つくのが怖かったし、プライドが高かったし、受け身が楽だった。
 でもこれじゃあ幸せにはなれないなって気づいた。彼女からのDMで。他人軸じゃなくて自分軸で生きよ、っていうのはさ、自分の手で幸せ掴みに行けよってことなんじゃないかな。私も、臆病で受け身な人間を卒業して幸せを自分でつかみ取りにいける人間になりたい。

 大学を休学して、自分について考える時間が増えたけど、「過去の私」についての解像度は高くなったけれど、「現在の私」のことがまだ全然分からない。まだ私を知るには時間がかかりそうだ。

 自分の気づかなかった弱点に気づかせてくれた友達に感謝したい。ありがとーーう!


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