自分のために頑張れる才能

色々な仕事をしてきた。食品工場のバイトから始まって、コールセンターを2〜3年、IT系エンジニアが4〜5年。わずかながら飲食店や店舗のスタッフに、事務も。

そこそここなせるものもあったものの、天職と思えるものはなかった。エンジニアは一瞬だけ天職だと思ったけれど…。

エンジニアが天職にならなかった理由

私はコツコツと何かを作るのが好きだし、勉強も多少はできるし、エンジニアのスキルも自分で何かを作る際に役立つので好きだ。

私が足を踏み入れたのはWebまわりのエンジニアで、就職の際に選考を有利にさせるポートフォリオサイト※や個人的な開発物はエンジニア経験者諸氏に高く評価してもらえたこともあった。
※自身の手掛けた作品をまとめたサイトのこと。

そういった開発物を作っている時も結構楽しくて没頭していたし、出来上がったものに高評価をもらうことも嬉しかったし、プライベートで身に付いた知識が仕事で活きる場面もあり「天職かも」と思ったものだ。

最終的に天職じゃなかったと思うようになったのはいくつか理由※があるが、結局は他人の企画物・開発物をいじること自体は全く面白くなかったことも大きい。

※他の理由はこんなところ
・眼精疲労や首の痛みが慢性化し始め、週40時間デスクワークは身体を壊すことに気がついた。
・陳腐化する技術を追い続けることがアホらしくなってきた。

天職に感じた要因である楽しさや没頭は、思い返してみればプライベート時間でしか起きていなかった。

自分のためには頑張れてた

分かったのは、私は他人のために頑張る才能が薄い。つまり、雇われ労働で他人の事業や物事を自分事として楽しんだりすることは難しい。

一方、他ならぬ自分のためのものに関しては楽しみ、没頭して向き合えている。そうやって生み出された開発物※は色々な人に評価してもらえたし、自分でもよくやったなと思うものもある。

※当時仕事でやってた画像切り抜き作業を自動化したツール、野菜と魚の自動生産装置(アクアポニックスに自動給餌と環境データの取得・蓄積を掛け合わせた)なんかを作っていた。

ホンモロコ(食用魚)の生育状況を
30分毎に撮影し、LINEへ送信

自作の革財布も料理も、なかなか形になる。凝ったデザインの財布は素人が作ろうと思うと少し大変だけど作り切れた。ありがたいことに友人に製作依頼をもらって鋭意製作中だが、私は仲の良い人のためにも頑張ることができるようだ。

だから私は“自分(および仲の良い人)のために頑張れる才能”がある気がしてきたのだ。私のような人が楽しく生きていくにはどうするとよいのか。
自身の作った物を売る。人手が欲しい人と仲良くなる。ダイレクトに自分の欲しい物を手に入れる。といったあたりが挙がっている。

そういうことで、この現代において狩猟採集の比率を増やそうと試みていて、収入に関しては色々な職場にトライできる季節労働なども試してみたいし、ゲームや革製品を作って販売してみることもほんのりと考えている。

この先どうなるかは全く分からないが、ひとつ言えるのは楽しそうである。試してみるには十分だ。

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