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スケッチは難しい

先日、大学のオンライン授業が始まった。本来なら顕微鏡で標本を見て細胞の様子をスケッチするはずの授業が、「バーチャル標本」というすばらしい技術のかたまりを見てスケッチすることになった。これはタブレットやパソコン等で見ることができ、しかもすでにピントがあった画像で、拡大縮小も容易にできるようになっている。

この授業には顕微鏡の使い方を学ぶ意図もあっただろうから、一概によいとは言えないものの、簡単に見たい細胞が見つかるし、ひとりで黙々とできるし、深夜や早朝など好きな時間にできるので、個人的にはこのスタイルが結構気にいっている。

しかし、顕微鏡の操作という作業がなくなり、純粋にスケッチだけと向き合うこととなった結果、スケッチの難しさをしみじみと感じるようになった。美術の方のスケッチがどうなのかはよく知らないが、このスケッチで求められることは、単純に言えば、「ただ見えたままを描く」それだけだ。

見えないものを描いてはいけないし、あるはずのものを描いてもいけない。そんなことはわかっているのだけど、どうしても見えないものを描いてしまったり(変なものが見えるとかではない)、見えているものをゆがませてしまったりする。集中力の問題なのだろうか。

ただ見たままを描くことは難しい。事実だけを見ることがこんなに難しいとは思っていなかった。

たとえば、ニュースを見たとき。起こった事実だけを見ようとどれほど意識していても、その伝え方、それに対する世間の反応をどうしても取り込んでしまう。

ヒトの頭で完全に事実だけを認識することは難しい、そのことだけは覚えておこうと思った。

最近は夜に誰かが話している動画を流しながらスケッチをするとはかどることを発見した。(こんなことをしているからうまく描けないのだろうか)スケッチで一番楽しいところは、最後に色鉛筆を立ててトントンと色を塗ることだ。無心になれる。

それはそうと、幼稚園のときにお絵描きに使っていた色鉛筆が、今勉強道具として筆箱に入っているってなんだか不思議なことだな、としみじみする。



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