私が好きな犬のこと

自分の家で飼っている犬が好き、というと、親バカだ。みんなそうだ。という声が聞こえてきそうだが、ほんとうに好きなのだ。

種類はパグ。

ブルドックみたいだけどもう少し小さいやつ。
よくCMに出てくるやつ。
宇宙兄弟のアポ。

と言えばわかるだろうか。よく「ぶちゃいく」と形容される。

彼女が一番好きなものは、ごはん。次に、昼寝するときの太陽の光。そして夜寝るときのクッション。
(つまり、食べるか寝るか)

朝、父が起きる時間の少し前から起きて(6時くらい)ベッドの中で目を開けて待っている。散歩に行って、平日はすぐにまた寝る。週末は遊んでもらうことを期待してついて回るが、父が出掛けるそぶりをみせるとすぐに寝る。太陽が昇ってきて、家に光が差し込むようになると、じぶんでその光に沿って移動して寝る場所を変える。光を浴びながらおなかを出して無防備に寝る姿は、もう幸せそのものだ。

夕方、4時くらいになると、はっと目を覚ましてのびーとして立ち上がる。あとはひたすら一番ごはんをくれそうな人(たいてい母)を見つめて近くに待機する。普段はだらーとした座り方なのに、このときだけはきちんとまっすぐに座る。だれかが台所(犬のごはんが置いてある場所)に向かう気配をみせると、くるくるとまわって先導してごはんに連れて行こうとする。台所には行かず途中でトイレに向かったとしても、へこたれない。何度でも繰り返す。ごはんをやっとのことゲットすると、帰宅した父と少し遊んでまた寝る。毎日、毎日この暮らしだ。

10年くらい前、家に泥棒が入ったことがあって、冗談まじりに防犯用に犬でも買う?といって、ペットショップを訪れたとき、ひとめぼれした。私と父がプッシュして飼うことが決まった。
飼ってみれば、犬なのに全く吠えない静かすぎる犬なので、全く防犯上役に立っていない。でも、いまでは私にとって年の離れた小さな妹のような存在だ。

「犬の散歩」と言いつつ、私は犬に散歩してもらい、たくさんの場所に連れていってもらった。

小学校のときは、家での勉強から逃げ出して、ぶらぶら歩いたり、友達と遊んだり。去年不合格の発表を見たときは、二人であまり人がいない公園の奥で走り回った。

ひとりなら絶対にしないことも、犬がいれば怖くなかった。

浪人しているときは、ただなんの変化もなく暮らしている姿を見ること、それだけで癒された。がんばってなにかができるようにならなくたって、ただ毎日生きることにエネルギーを注ぐ犬がうらやましかった。ずっと家にいて、息苦しくてもうだめだってときも、犬の目を見て話しかけるだけで、心は満たされた。返事を返してくれるわけでもないし、そもそも目も合わせてもらえないときだってあるけれど。

それだけではない。家族が険悪なムードになっているときも、犬は私たちの間をちょろちょろと動き回り、いつも通りの生活をする。そして変な姿で寝ていたり、いたずらをする様子を見ると、私たちはつい一緒に笑ってしまうこともある。

彼女はいま9才。少し白髪というか白い毛が目立つようになってきた。私は4月からは実家を離れてひとりぐらしをするので、毎日ともに暮らすのは今月が最後になる。思っているより一緒に過ごす時間はもうあまり残されていないのかもしれない。

まずは悔いのないように、いまの日々を大切に暮らす。そして、この先重い病気や怪我を抱えるようなことになっても、逃げずに向き合うこと。これが、いままで私にくれたものを返すために私ができることなのかな、と漠然と思う。まだちゃんと覚悟ができているとは言えないけれど、少なくともこの気持ちだけは持ち続けていたい。

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