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誰がオババに鈴を付けるか?

加藤千恵氏が「点をつなぐ」という小説を書いています。此お話しは、昨今の結婚離れや少子化の背景を上手く描写してるので紹介したいと思います。因みに、作者は北海道出身と書いてますが、文体は北陸地方出身ぽっい感じです。

背景として重要なのが、憲法第二十四条による、大家族制や家系に基く社会制度の排除です(下記事参照)。此規定は、民主主義下(主権在民)では、国民一人一人が平等に統治権を持つという信念に根差してます。つまり、特定の人が、例え家族であっても自分以外の人に権力を振るう行為を許さ無い。個人に対する権力の行使が許されるのは、法律に基づいて制定された政府機関の公務員が、法律に準拠し行なう行為だけです。オババが孫娘の結婚相手を勝手に決めるのは違法行為です。

家族関係における個人の尊厳と両性の平等〕
第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

日本国憲法 第三章 国民の権利及び義務 (衆議院)

此規定は、昭和天皇の意向に沿って、1947年(昭和22年)に突然有効になったので、一般の市民は其意義を理解してなかったみたいです。しかも、当時の幣原総理大臣等の政府高官は米軍のマッカーサー元帥の押し付け憲法だと大嘘を吐いて、見無い振りをしようとし、憲法第九条の戦争放棄とか、コソコソと斜めから読む習慣を身に付けた。一般市民が第二十四条の規定の意義に気付かなくても仕方無いかと。

処が、日教組が新憲法を教育に組み込んだ。「戦後教育」を通じ、国民の権利意識が一般大衆に広まるにつれ、若者達は「男女交際」とか「自由恋愛」とかの夢を見出した。勿論、憲法第二十四条の威力です。其以前は「七年(才)男女、不同席」ですから大変な改革です。文化的には、石原慎太郎の「太陽の季節」なんかが走りでしょう。其後、60s'頃から少女マンガブームが起き、「赤い糸の伝説」とか恋愛至上主義みたいな流れが出来た。「愛が有れば全てが許される」ってのは、松任谷由美とかサザンとかの流れです。それで、純真な若者は「恋愛結婚」が社会規範と信じる様になった。

オババ達も「自由恋愛」を楽しみます。自由恋愛が家族制度の崩壊と結び付くとは思わなかったのか、性行為による享楽を優先したのか知りませんが、子供達の恋愛観の変化を見無い振りし、不倫を楽しんだ。不特定多数との性行為が社会現象となり、クラミジアや梅毒が蔓延する様になった。お隣の中国でも、彭麗媛はお盛んでクラミジアで苦労してるみたいです。という事は習近平も同じ穴のムジナかな。

母娘世代間の家族制度に関する認識の違いが、人生の選択に如何に表われるかを長女の視点から語ったのが「線をつなぐ」です。お話では、母親は長女に夢を託して、高等教育を受けさせ、都会の一流企業で働かせる。自慢の娘です。次女は田舎に残して、自分の老後の面倒を看てもらう積りで育てた。でも、長女は都会で、仕事を生き甲斐にし、田舎を省み無い。お姉ちゃんを観てる次女は、親の面倒看るより自分の人生を大事にしたい。母親はお姉ちゃんを田舎に呼び戻したくなったので、結婚を餌に工作する、って感じです。

つまり、娘達の人生観や結婚観に関する母親の希望的誤解ですね。娘達は、王子様と大恋愛の末に結婚したい。親は自分の気に入った若者と娘をくっ付けて幸せな老後を送りたい。娘が都会で知り合った馬の骨を旦那にするって連れてくると、邪険にする。田舎から娘に旦那候補の写真送っても無視される、みたいな感じかと。

日本政府が民主政府を標榜するなら、文科省が憲法教育を日教組に任せたのが失策です。本来なら、日本国憲法が公布されてから直ぐに、学校教育の一貫として、一般市民も含め国策として新しい家族制度を教育するべきだった。神武建国以来の家系に基づく家族制度を廃止して、個人の権利に基づく小家族制に移行する訳ですから、当然混乱が予想される。まあ、混乱を八十年かけて薄めたと考えれば悪い判断では無いかもしれませんが、副産物がクラミジアの蔓延と少子高齢化です。


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