美味しいの可能性は私次第
家族みんなで体調を崩し、数日放っておかれた畑の野菜たち。
ほんの数日でビッグになった物だったり、雨にあたり割れてしまったトマトだったり、を父が大量に救出してきた。
大きくなりすぎると硬くなったり、大味になってしまい、捨ててしまう人が多いけれど、父は「いたましいから」(可哀想、もったいないのようなニュアンス)とたんまり救出してきた。
こんな時、私の腕が鳴る。
数日前までは美味しかった野菜たちが、美味しくされないまま食べられないのは、父の言うようにいたましい。
いつもよりちょっと工夫をしてあげれば、美味しく食べられるはず。可能性の光を握っているのは私だ。
大きくなり、硬く、大味になったきゅうりは、炒飯にしてあげると、たくあんみたいなコリコリした食感になって美味しい。
割れてしまったミニトマトたちは、割れているから湯むきがしやすいので、トマトソースにしてしまおう。
大きく硬くなってしまったオクラには、まだチャレンジしたことがないけれど、薄くスライス?くたくたに煮込む?。アイデアは無限大なはず。
秋田の夏は短い。
この夏を逃さないように、私は私の可能性を無限大にする。
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